富永健一『社会変動の中の福祉国家―家族の失敗と国家の新しい機能』

 本書で私が主張したい重要テーゼの一つは、近代産業社会における高齢者に対する社会保障の制度とは、かつて家父長制家族のもとで行なわれていた「親から子への贈与」と「子から親への贈与」という二つの贈与の世代間互酬性が、家父長制家族の解体による核家族の成立によって不可能になってしまったのを、国家が家族の外で呼び戻そうとするものである、ということである。
[39]

「伝統社会の近代化」から「産業社会の近代化へ」というベックの「反省的近代化論」や、また高田保馬による最小の基礎社会である家族/最大の基礎社会である国家、などの理論的な枠組みのもとに、福祉国家の形成、「福祉国家の危機」への対処のあり方が検討されているのが本書の特徴。


面白いと思ったところは、

 エスピン−アンデルセンの意味での社会民主主義型の福祉国家においては、労働者階級が福祉国家形成の担い手であったということは、たしかに言える。しかしその場合でも、階級は福祉国家にとって機能をもったというのは適切ではないだろう。福祉国家は、不平等の構造化である階級を否定の対象にした、というのが正しいのではなかろうか。
[26]

階層・階級に機能はないということ。富永社会学は機能主義の理論なのだと改めて確認した。


また、

日本において社会保障制度が形成されてきた歴史的経過を見ると、福祉国家という概念が存在しなかった戦前においてすでに、社会保障制度の形成は始まっていた。重要なことは、日本の社会保障制度は、第二次大戦中までの段階で、医療保険国民健康保険・厚生年金保険の三つを制度としてすでに揃えていた、ということである。
[66]

福祉国家の成立≠社会保障制度の成立。日本においては、社会権思想に基づいた国民皆保険・皆年金の実現をもって、福祉国家の成立と見なされる。