2010年10月3日


■健康と研究者
イチローのメジャー10年連続200安打達成を見ていて分かるのは、打撃技術もさることながら、長期に渡って大きなケガや病気にあわない体調管理の徹底が記録達成に重要だったということだ。
スポーツ選手に比べれば、はるかに注目されることはないけれども、研究者でも健康管理の重要性はもっと強調されてもよいと思う。
1年間に例えば10日間、体調を崩して寝込んでいたら、研究の生産性も少なからず変わってくる。
「研究者というのは職業柄、不規則な生活や徹夜で体調を崩すもの」、「あのマックス・ヴェーバーだって神経症にかかっていたんだから、研究者のメンタルヘルスが悪いのはよくあること」というような言説には注意したい。


■予定説と研究者
社会学のYさんがちょうど3年くらい前に言っていたこと。
「大学の研究者として大成する人は、ヴェーバーの『プロ倫』に出てくる予定説を信じた人々と同じなのではないか」。

いくら熱心に信仰しても、神によって救済される人は予め決まっていて、自分がその救われる人間かどうかは分からない。現世で積んだ善行は救済と一切関係がなく、また呪術や奇蹟に頼ることもできない。しかし、もし救済されるような人ならば、現世における自らの職業(Beruf)に勤勉に励むはずだ、というのが予定説の内容。

大学の研究者は基本的に養成に時間がかかるため、初期の段階では将来が明確ではない。すなわち、自らが「救済」されるかどうかはよく分からない。しかし、もし救済されるような人であれば、ひたすら研究に打ち込むはず。そう信じて行動するしかないということ。

自分も院生になって、こうした心情が少しは実感を持って分かるようになってきた。

しかし、予定説と研究者としての成功が違っているのは、研究者の場合は自らの努力と将来の成功に関して、ある程度の因果関係があること、しかし、研究者としての成功は宗教的な救済ほど人間に激しい動機を与えるものではないということだ。その違いが別種の葛藤をもたらす。


■ウィルス
やや久しぶりにノートPCのスキャンをしたら、ウィルスが検出されてしまった。しかし、おそらく周囲に被害はばらまいていないし、自分のPCの被害も最小限なはず。

いつ感染したかの心当たりがあるのだが、それが予防しにくいケースだと思う。
他人のUSBメモリを自分のPCに挿さざるを得ない状況だと、それがあやしいと思っていても、その人の目の前でスキャンするのは割と気まずい。何かよい方法はないものか。


■コミュニケーション
twitterでshindanmakerとやらの結果を貼り付けている人たちを見て思うのは、コミュニケーションにとって、意味内容は決して必要条件ではないということだ。
まさに、マクルーハンの言う、「メディアはマッサージである」が当てはまっている。