イマニュエル・カント『純粋理性批判』(上)

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)

原因の概念は、まったくア・プリオリに悟性のうちにその根拠をもつものでなければならないか、それとも単なる妄想として全然放棄されねばならないか、二つのうちのいずれかである。この概念は、或るものAは他の或るものBがこのAから絶対に普遍的な規則に従って必然的に随起するような性質のものであることを、あくまで要求するからである。確かに現象の示すいろいろな場合について、そこから規則と言えるようなものを引き出すことはできる、そして或る事象は通例かかる規則に従って生起しているのである。しかしその生起の跡を見ると、それは決して必然的ではないのである。それだから原因と結果との綜合は、経験的にはまったく表現せられ得ないような尊厳ともいうべきものを具えている、つまり結果は、ただ原因に付け加わるというだけのものではなくて、原因によって設定せられまた原因から生じるということである。規則の厳密な普遍性もまた、経験的規則の性質とはまったく異なるものである。経験的規則は帰納によって成立するものであり、けっきょく比較的〔相対的〕な普遍性――換言すれば、広い範囲に亙って有効であるという性質しかもち得ない。それだからもし純粋悟性概念を経験の所産として論じようとすると、かかる概念の使用はまったく本来の特性を失ってしまうだろう。
[168-9]

某先生曰く、「カントっていうのは、西欧合理主義の一つの極致ですからね、やはり読む価値はあります。君たちも、まあ35歳くらいまでは好き嫌いせずに、『純粋理性批判』くらいは読んでおいてもいいんじゃないの?」。


上巻は先験的感性論について。特に純粋悟性の働きについて詳しく述べられていた。

自分が興味を持って読んだのは、原因と結果に関する議論。実証的な社会学をやっていると、因果関係というものが経験的に導出されてくるものと考えがちだが、カントの主張によれば、「ア・プリオリに悟性のうちにその根拠をもつものでなければならない」。


上巻だけで15時間くらいかかった。以前読んだ『道徳形而上学原論』よりはるかにしんどい。
久々に脳がひどく疲労する読書だった。