武田晴人『仕事と日本人』

仕事と日本人 (ちくま新書)

仕事と日本人 (ちくま新書)

 しかも、このような[事前の学校教育による投資を経た職業]選択に際して、現代社会では「所得」を伴う仕事を選ぶことが求められます。たとえば、大学から大学院に進学して研究者を志している若者は、職業の選択をすでにすませている面が強いと思います。しかし、大学院生である限りは、研究者を職業としているとは一般には認められません。あくまで学生でしかないのです。所得が伴わないからです。しかし、もしそうであれば、近世の徒弟奉公で、職人のところに弟子入りした場合にも、職業を選択したことにはならないのでしょう。これはややおかしな話です。
 たとえば、俳優志望の若者がいて、劇団に所属して俳優の修業をしていても、彼の職業が俳優であるとは認識されません。適当な役がついても、おそらく俳優で生計を立てることができる人は少なく、そうした人たちはパートタイムの仕事で収入を得て暮らしを立てていることも多いでしょう。そうした場合、彼らは自覚的に俳優を自分の生涯の仕事として選択したとしても、それで食えるようになるまでは、職業分類上ではパートタイム労働者とかフリーターにすぎないのです。
 このように、職業の選択とは、どのような仕事によって生計を立てるかを基準に判断される側面が強いのです。その意味では、「売れない画家」「売れない俳優」は職業とは見なされないのです。それがどれほど当の本人の生き方にとって大事なことであっても、経済的な側面に判断の基準が偏った現代社会では認められることはないといっても言い過ぎではありません。近代の労働観が、労働の目的は所得を得ること、つまりお金が目的だと捉えていることと、このような職業に関する評価とは表裏一体のことなのです。
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大学院生であることに伴うスティグマを、現代社会の労働観から見事に説明!