中村圭介『成果主義の真実』
- 作者: 中村圭介
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2006/03
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 8回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
私の伝えたかったこと。一つめは、良き人事管理は、経営の成功を保証しはしない。二つめが、昇給や昇進などのインセンティヴは従業員の働きぶりに間接的にしか影響を及ぼさない。人事部門のできることには限りがある。この二つのことを考えれば、成果主義は、たとえそれが良きものだったとしても、導入しさえすれば、ただそれだけでただちに良いパフォーマンスを生み出すわけではない。
[224-5]
「成果主義」と一口に言っても、素朴な成果主義(昔からある出来高払制度)、プロセス重視型成果主義、(成果とそれを達成する能力を分離するという)分離型成果主義などの類型を事例調査から析出している。
そして、一般に成果主義と呼ばれる場合に、最初の素朴な成果主義が思い浮かべられることが多く、それが冷静な議論を難しくさせていると言う。
著者はいくつも重要な指摘をしているが、一つは成果主義を論じるとき、成果とは何か、成果をいかに測定するかに関心が向けられており、的外れな議論になっているという。そうではなく、成果主義とは賃金制度改革だということが述べられる。
職能資格制度において前提されている、個人の能力が年功的に上昇してゆくという考えを成果主義はとらない。よって、特に管理職において定期昇給がなくなる。
成果主義によって、賃金制度は変化するが、それによって労働生産性が上昇するとは限らないという。あくまで昇進や昇給などの方法では、労働生産性や従業員のインセンティヴには間接的に影響を及ぼすことができないというわけだ。
著者が重視するのは成果主義が是か非かなどということではなく、「仕事管理」である。仕事管理とは、「命令、指示、提案、説得などによって、部下の仕事を直接コントロールする」[204]こととされている。
そして、こうした仕事管理に人事管理論は目を向けるべきだという。「人事管理の主要な目的の一つは、労働力の効率的な利用である。したがって、人事管理論は、本来ならば、いかにしたら労働力を効率的に利用しうるかを論じる必要があると私は思う。だが、不思議なことに、人事管理論の教科書を見るかぎり、この点についての記述は著しくお粗末である」[178]と批判している。
仕事管理さえできていれば、生産性を測定する必要はないという主張は興味深かった。
「まずは測定、その後に管理」ではない。まずは管理があり、それに適合的な何かを測定すれば良い。乱暴な言い方を許してもらえば、ホワイトカラー個々人の生産性などは測定する必要などないのだ。まずは、ちゃんと働いてもらう。「ちゃんと」というのは、経営目標を達成する方向に向かって、懸命にという意味である。それを促すために何かの指標に着目する。もちろん、その指標は、「ちゃんと働いているか」どうかを間接的にでも示すものであれば何でも良い。その指標に着目して、ホワイトカラーの働きぶりを管理していれば、自ずと生産性も上がる。こう考えれば良いのではないか。
[118]
こうした、生産性を測定する必要はないという指摘は、学校教育に対しても大きな含意を持っているかもしれない。
そう言えば、矢野眞和『試験の時代の終焉』でも、情報をなるべく完全にするために、様々な能力を数値化して測定しようとしすぎることで、逆に不幸な選抜が起きるという、関連すると思われる議論が展開されていた。