熊野純彦『西洋哲学史―近代から現代へ』

西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)

西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)

ある程度の知識を前提として、また正確な理解を損なわないよう原文をかなり引用しつつ書かれているので、結構難しい。
通史として取り上げる人物はだいたいオーソドックスな気はするが、師弟関係や交友関係の観点から派生する人物も取り入れていることや、ベルクソンで一章使っていることが特徴と言えるのかな。


前著(『西洋哲学史―古代から中世へ』)よりかはまだ理解できた。読んだことあるのがちらほらあることの違いか。
本書で出てきた人物の著作で一応読んだことあるのは、デカルト方法序説』、スピノザ『国家論』、ルソー『社会契約論』、カント『純粋理性批判』(岩波文庫上巻)・『道徳形而上学原論』、マルクスエンゲルスドイツ・イデオロギー』、ニーチェツァラトゥストラはこう語った』、ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考』。内容は頭に入ってないが。


因果的推論についての、ヒュームの経験論による「習慣」のはたらき、カントの純粋悟性のはたらきをメモしておこう。
社会科学における因果関係は、下記のようなことを括弧に入れたうえで議論しているのだと思う。

 ただ「近接と契機という規則的な秩序a regular contiguity and succession」、「恒常的連結constant conjunction」が、必然性の印象を生む。「対象のあいだに、発見されることの可能な結合が存在するのではない。私たちが、ひとつの対象から、もうひとつの対象へと推論することができるのは、ただ想像に対して作用する習慣(custom)によるのであって、他のどのような原理によるのでもない」([『人生論第一巻第三部』]八節)。
 因果的な推論は、こころの「習慣」による。ふたつの事象が、繰りかえし接近して契機するのを知覚する結果、事象のあいだに必然的な関係を想定するように習慣づけられた、想像力のはたらきによる。――因果関係は習慣に由来する「信念belief」の関係である。
[100-1]

『人生論』第一巻と『知性研究』との大きな違いは、前者が時空論や人格論もふくんでいたのに対して、後者がほぼ全篇にわたって因果性を問題としていることである。できごとのあいだの「必然的結合」は「現に生じる多数の類似例」により、習慣から生じる。『知性研究』はあらためてその間の事情を確認していた(第七章第二部)。――ヒュームのいう「多数の類似例a number of similar instances」は、普遍性も必然性も与えない。カントは、実態も因果性も悟性(Verstand)が感覚の多様を秩序づける枠組みであって、悟性概念であると考える。悟性による総合はかならずその概念を経由するがゆえに、経験に先立ち、経験を可能にする悟性概念、純粋悟性概念は、認識の普遍性と必然性を、つまりは「客観性」を保障するのである。
[132]