ソーンスティン・ヴェブレン『有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究』

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

 有閑階級という制度がその最高の発展を遂げているのは、たとえば封建時代のヨーロッパや封建時代の日本のように、野蛮時代の文化が高度化した段階においてのことである。このような共同社会では階級間の区別がきわめて厳密に守られており、この階級的区分のなかで最も重要な経済的意味をもつのは、それぞれの階級に固有な職業の間で保たれる区別である。上流階級は、慣習によって産業的な職業から免除されたり排除されたりしており、ある程度の名誉をともなう一定の職業が約束されている。
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人間は有用性や効率性を高く評価し、不毛性、浪費すなわち無能さを低く評価する、という感覚をもっている。この習性あるいは性向は製作者本能と呼ぶことができよう。生活の環境や伝統が能率をめぐって人と人とを比較するという習慣をもたらすようなところでは、製作者本能は、結局、人と人との間の競争的な、あるいは妬みを起こさせるような比較をもたらすようになる。
[26]

ここで用いる「閑暇」という用語は、怠惰や静止状態を意味するわけではない。その意味するところは、時間の非生産的消費である。時間が非生産的に消費されるのは、(一)生産的な仕事はするに値しないという意識からであり、(二)また、何もしない生活を可能にする金銭的能力の証拠としてである。
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人間一般の特徴である製作者本能→産業技術が発達してくると、略奪によって余剰生産物を得ることが合理的に。すなわち、製作者本能よりも略奪的文化が優位に→略奪社会では武勇の保持が名誉に値する行為規範となり、やがて財産の大きさが名誉の基準に替わる。すなわち、「私的財産をめぐるゲーム」が生じる→財産自体は略奪によらなくても得られるため、商取引によって富を蓄積する人々が出てくる→富を単に所有しているだけでは名誉をもたらさないようになり、それがはっきり目に見えるように「顕示的閑暇」、「顕示的消費」が重要になる。
というような、「進化」が起きたという話。


議論がかなり多岐にわたっているので、アニミズムなどの人類学的な話や、生物学的な話はよく分からなかった(というかあやしいと思った)が、


顕示的消費による出生率の低下(ベッカーの「子どもの質」の議論とも関連?)

なんとしても面目を保てるような支出を実行しなければならない羽目に陥っている階層の出生率の低さは、同様に、顕示的浪費にもとづいた生活水準をみたす、という必要性に起因している。子供の標準的な養育に要する顕示的消費や結果的な支出の増加はきわめて大きく、強力な抑止力として作用する。
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有閑階級の女性による代行的閑暇

およそ育ちのよい女性が実用的な仕事で生活の糧を稼ぐなどと考えるだけで、われわれの神経にはキリキリと痛みが走る。それは、「女の本分」ではないのである。彼女の本分は家庭のうちにあり、彼女はそれを「美しくする」必要があるばかりか、彼女自身がその「主要な装飾品」でなければならないのである。家庭における男の長は、ふつうその装飾品だと言われない。この特徴を、女性の衣装や他の装飾品における費用のかかる誇示にますます際限なく留意するよう要求するものが世間体である、という別の事実と結びつけて理解すると、以前述べたことにすでに含まれていた見解を強化するのに役立つだろう。われわれの社会システムは家父長制的な過去からの血統を引き継いでいるため、家庭の支払い能力を立証することが、女性の機能としてとくに際立ったものになる。
[202]

のあたりは卓抜だと感じた。