武田晴人『高度成長』

高度成長―シリーズ日本近現代史〈8〉 (岩波新書)

高度成長―シリーズ日本近現代史〈8〉 (岩波新書)

 今では日本の経済状態を報じる様々なメディアで、「経済成長」が主題となり、「経済成長率」の高低に一喜一憂することは日常的で珍しいことではない。しかし、わずか60年ほど前、敗戦から間もない日本ではそうした光景は見出すことはできない。
 それは、敗戦の混乱によって経済成長が「遠い夢」だったからではない。「経済成長」という言葉がなかったからである。それまで、人々は経済状態の歴史的な変化をあらわすために「経済発展」という言葉は使っても、「成長」という言葉を使うことはほとんどなかった。それは専門家でも変わらなかった。
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 高成長経済という観念が時代の産物にすぎないとの主張が本書の底流にある。56年の『経済白書』の表現を借りれば、80年代初めに私たちは「もはや高成長の時代ではない。われわれは異なった時代に直面している。成長を通じての豊かさ追求の余地は使いつくされた。限られた資源のもとで、環境を保全し、節度ある生活を維持するため、分配の公正さが求められる」と認識すべきだった。
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高度成長という概念が時代の産物という主張。ただし、社会意識のような側面にはあまり焦点は当てられず、あくまで社会・経済的な事実や出来事が丁寧に記述されている。


55年体制発足から三池争議を中心とした労働運動、60年安保までの「政治の季節」は記述が厚く勉強になった。
それから、60年代に山一證券を中心として証券恐慌が起こり、その経験が護送船団方式につながったという話が興味深かった。