ウルリッヒ・ベック『世界リスク社会論—テロ、戦争、自然破壊』

世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

・サブ政治の概念に触れているところはメモっておこう。

「サブ政治」という概念は、国民国家の政治システムである代議制度の彼方にある政治を志向しています。その概念は、社会におけるすべての分野を動かす傾向にある政治の(最終的にグローバルな)自己組織化の兆しに注目します。サブ政治は、「直接的な」政治を意味しています。つまり、代議制的な意思決定の制度(政党、議会)を通り越し、政治的決定にその都度個人が参加することなのです。そこでは法的な保証がないことすら多々あります。サブ政治とは、別の言い方をするならば、下からの社会形成なのです。そのことによって、経済や科学や職業や日常や私的なことは、政治的議論の嵐にさらされることになります。この議論は、もちろん政党政治的対立という伝統的なスペクトルには従いません。したがって、世界社会的なサブ政治の特徴は、イシューごとにその都度形成される(政党、国家、地方、宗教、政府、反乱、階級といったものの)「対立の連合」なのです。しかし、決定的に重要なことは、サブ政治が政治的なものの規則と境界をずらし、解放し、網目状に結び付け、ならびに交渉できるものにし、形成可能なものにすることによって、政治を解き放つということなのです。
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・産業社会では制御可能、保障可能であったリスクが第二の近代(反省的近代)では制御不可能なものになる。そのリスクは国民国家の枠を越えて拡がる。しかし、そのリスクを生み出す主体は依然として国民国家の枠にあり、それは第一の近代の問題である階級、貧困問題とも結びついている。こうしたリスクに抵抗するために、サブ政治による運動が喚起される。

・二つの講演録の一つ目は、2011年11月、すなわち9.11から2ヶ月後のもの。今読めばすんなり入ってくるアメリカの覇権主義への批判も、当時だとそれなりに勇気のいる行為だったかもしれない。ちなみにギャラップ社の世論調査だと、2011年11月のブッシュの支持率は87%もある。

本質主義的=現実主義的アプローチと構築主義的アプローチは、方法や根本における仮定は異なっていても、その診断という点では同じ。お互いの利点を取り入れ、リスクとリスクについて語ることを区別した「反省的な現実主義」の立場が望ましい。

・Gefahrは「危険」、Risikoは「リスク」と区別して訳すべきという訳者の指摘。また、ベックの言う第二の近代は未来志向的なものであり、したがってreflexivは「再帰的(自分から自分へ帰ってくること)」よりも、「反省的」と訳すべきという訳者の指摘。

コスモポリタン的な価値についてはかなり楽観的。

・『危険社会』も読み返したい(前に読んでから5年くらい経った)。