書こうかどうかと思っているうちに今さらになってしまったのであるが、島田紳助の引退報道を見ていると、どうも既視感を覚える。


報道されている記事を見ている限り、今回の件は2007年に大阪府警が元プロボクサーの渡辺二郎を恐喝未遂で逮捕した際に、証拠として押収した携帯電話のメールを調べているうちに、島田紳助暴力団関係者との交際が発覚したということになっている。
しかし、そもそも暴力団関係者との交際という、それ自体は違法ではないことをなぜ警察は外に漏らしたのだろうか。これは刑事訴訟法に抵触しないのだろうか。
仮に島田紳助が違法なことをしていたとして、刑事訴訟法の47条は、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない。」と、原則として携帯メールを含む捜査関係資料を公開してはいけないことになっている。


思えば、これは今年2月に発覚した大相撲の八百長問題と同じ構図だ。
あの時も、警察は野球賭博で押収した携帯電話のメールから、それ自体は違法行為ではない八百長の証拠を見つけ、文部科学省にリークしていた。


こういうことを書くと、手続きはどうあれ、結果的に(道徳的・倫理的に)悪いことが明らかになればよいではないか、というような批判を受けそうである。実際、島田紳助自身が警察の手続きを問題にする発言をしたら、間違いなく世間から猛烈な批判を受けるだろう。
しかし、ここには極めて帰結主義的・功利主義的な発想が見られる。


せっかくブームになったサンデル先生が、ベンサムとカントを対比して分かりやすく説明してくれたというのに、帰結主義的な発想を多くの人が何の問題視もせずに持ってしまっている気がするのである。