野村正實「1980年代における日本の労働研究」

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野村正實,1992,「1980年代における日本の労働研究――小池和男氏の諸説の批判的研究」『日本労働研究雑誌』396,3-21.


「この事例は、生産性格差を論じるためには、設計技術、生産技術、専門工の技能、原料部品の品質などを吟味することが必要であることを示している。直接生産労働者が生産性格差のもっとも大きな原因であるという小池説は、そうした点での検討をまったくおこなっていない。」[8]


「私が氏の所説に反対しているのは、第一に、氏の「知的熟練」概念が氏によって、あるいは氏の所説の支持者によって、混合多能工化や高位多能工化として理解されることにたいしてである。氏の「知的熟練」は専門工のレベルの技能を含んでいない。それを含まないで熟練を議論することは熟練の一部分を議論したにすぎない。
 第二に、「知的熟練」が生産性を大きく左右するという主張にたいしてである。生産性は製品開発、生産技術、専門工の技能、原料部品などさまざまな要因によって決まり、直接生産労働者の「知的熟練」はその一部分、しかもそれほど大きくはない一部分にすぎないのである。」[10]


「現場での大きな改善は専門工、監督者、改善班がおこなっている。直接生産労働者からの提案は数が多いが、その大半は些細な提案である。」[11]


「賃金制度においてホワイトカラーとブルーカラーの一本化がおこなわれたのは、敗戦直後の労働組合による「経営民主化」、「身分制撤廃」運動の結果であった。」[13]


「小池説では、熟練が賃金を決めると考えられている。この説は、疑わしい。大企業における賃金の決め方を見ると、大企業は熟練の差を考慮していないからである。」[13]


「韓国では高い労働の流動性にもかかわらず年功カーブが日本と同じかそれ以上に明確に存在している。」[13]


「賃金カーブが「年齢別生活費保障型」になったことが、企業に、男性労働者にたいして直接労働者であってもある程度の技能形成をおこなわせ、専門工との分業をフレキシブルかつ曖昧にさせることになったと考えられる。つまり、賃金カーブが年齢とともに上昇するのであれば、企業としてはその上昇に見合った労働力利用をおこなったほうが効率的である。賃金が上がるにもかかわらず単調繰り返し作業を担当させるのはコスト・パフォーマンスが悪いからである。同じ根拠から、女性労働者の技能が育成されないことも説明される。すなわち、女性労働者は結婚または出産を機に若年で退社することが予定されている。したがって、たんに訓練費用を回収できないから教育訓練をおこなわず単純労働をおこなわせるというにとどまらず、若年であることから賃金も低いため、女性を単純労働に従事させてもコスト・パフォーマンスは良好なのである。」[14]


「[電機産業においては]女性が単純労働をおこなうことによって、男性労働者の高度あるいはある程度の技能が可能になっているのである。このことは明確な男女間分業を無視して、男性労働者だけをとりあげ、そこにある程度の技能が形成されていることをもって、日本における技能形成を賛美することがいかに一面的であるのかを物語っている。」[14]


「日本のいわゆる産業別組合は企業内労組の連合体という性格を一歩もこえていない。そして企業内労組の専従役員は会社の人事管理の枠外ではない。会社の労政担当と組合の専従役員との非公式の頻繁な話し合いが、会社に不利な政策を組合に提案させないという労政担当者の考えの実践の場になることは、当然ではないか。」[17]