エミール・デュルケーム(古野清人訳)『宗教生活の原初形態(上)』「序論 探求の対象」

 われわれの判断の根本にはいくつかの基本的概念があって、あらゆる知的生活を支配している。それはアリストテレス以来悟性の範疇と呼んでいるもの、すなわち時間・空間・類・数・原因・実態・人格性などである。それらは事物のもっとも普遍的な特性に相応するのである。それは思想を囲む堅い枠のようなものである。思想はそれを脱却すると破滅するらしい。われわれは時間的または空間的に存在しないあるいは数のない対象物などを考えないからである。その他の概念は偶発的で動き易く、ある人、ある社会、ある時期ではそれを欠くことも考えられる。ところが、前の範疇は精神の正常な機能からほとんど分離できないようである。これはあたかも知能の骨格である。原始的な宗教信念を組織的に分析してみると、必ずその途上でこの範疇の主要なものに出会う。これは宗教の中で宗教から生まれた。これは宗教思想の所産である。このことは本書のうちでもたびたび立証しなければならない。[p.30]

 ちくま学芸文庫から新訳が出ていますが、まだ手に入れられていません。新訳では『宗教生活の基本形態』となっているようですね。

 デュルケームは本書で、原始宗教の研究を行い、宗教の本質が、共同体における儀礼を通じて、聖なるものと俗なるものを分離することであると見出しました。

 しかし、本書にはもう一つの大きな主題があり、それは時間や空間など、人間にとっても最も根本的な悟性の範疇が、宗教的儀礼を通じて作り出されるというものでした。時間や空間というあらゆる具体性を離れた一般的な概念をどうして人間は持つことができるのかというのは、哲学における経験論・先験論を対立させる問題ですが、デュルケームはその問題に対して社会学的な答えを与えようという大きな試みを行ったということになります。