Goldthorpe (1998) "Rational Action Theory for Sociology"

Goldthorpe, John H. 1998. "Rational Action Theory for Sociology." British Journal of Sociology 49: 167-92.

 社会学的な合理的選択理論の特徴や目指す方向性を明らかにするために、合理的選択理論「内」の違いを扱った論文です。ちなみにGoldthorpeは、合理的「選択」(choice)ではなく、合理的「行為」(action)という用語をより好んでいます。

 合理的選択理論には様々なヴァリエーションがありつつも、Goldthorpe自身をふくめて、そのどれもが次の点を共有しているとされます。(1)方法論的個人主義にコミットし、社会現象にたいして個人の行為を一義的な説明要因とみなしていること、(2)それゆえ行為の理論が社会学の中心にあるべきだと想定していること、(3)マクローミクロリンク問題はもちろん考慮に入れつつも、分析上より重要なのは、個人の行為の結果、すなわちミクロマクロリンクにあるということ。

 合理的選択理論内の差異として考慮されるのが次の点です。(1)合理性の要件の強弱、(2)状況的(situational)合理性と手続き的(procedural)合理性のどちらをより強調するか、(3)一般的(general)行為と特定(special)行為の、どちらの理論を主張するのか。

 (1)合理性の要件に関しては、行為に対する信念(belief)の関係がどうなっているのかという点で異なるとされます。新古典派経済学では、行為者は「完全な知識」を有するというように、信念の問題は「仮定」(assumption)として扱われます。そして、情報の不確実性がある場合においても、行為者は限定された情報の下で最大限合理的な計算ができるとみなされます。これにたいして、Boudonは主観的な合理性を強調し、客観的には誤った信念の下においていかに合理的な行動をするかということに関心を持ちました。

 (2)の状況的合理性は、個人がある状況にたいしていかに合理的に反応するのかというのもので、Beckerを典型例として見ています。こうした合理性の下では、ある選好を所与とした際に、行為は状況的に制約されます。その結果として状況的合理性の極限においては、ほとんど選択の余地がないというパラドックスが生じるとのことです。これにたいして、手続き的合理性においては、人々が情報を計算する過程が強調されます。特に、SimonやKahnemanとTverskyの研究の貢献が指摘されています。

 (3)は合理性によって、どこまでの範囲の行為が説明されるべきかというものであり、一般的行為の極限にはBeckerが見出されています。しかし、Goldthorpeは一見すると非合理な行為にまで説明を拡張してゆこうとするBeckerの試みは、アドホックで矛盾が含まれるとして、否定的です。

 Goldthorpeの主張は、上記の(1)~(3)の合理性のいずれにおいても中間的な領域において、社会学的な合理的選択理論は存在するべきだというものであり、またそれは経済学的な理論の単なる輸入ではないというものです。また、個人の認知的なプロセスにまで深くおりてゆく研究にたいして、社会学者はあくまで集合的、マクロレベルの現象の説明に注力すべきだとします。マクロレベルの規則性を説明する上では、より単純なミクロレベルのプロセスに基づいて行うべきであり、心理学者が探求するような個人の複雑な真理に依拠しても、マクロレベルのよい説明は得られないためだというのが理由です。

 あと、(2)の状況的合理性についてはPopperの研究が重要なものとして論じられているのですが、いかんせんよくわかりませんでした。Popperといえば、科学的推論における仮説の役割についての研究が有名ですが、合理性についても特に経済学にたいして議論を行っているとは知りませんでした。合理的選択理論は、関連する先行研究が広く膨大なのでなかなか大変です。