金森先生のこと

 金森先生が少し前にお亡くなりになられたという話を聞いて、たいへん残念な気持ちです。昨年に出版された、『科学の危機』のあとがきで、大きな病気をされたということが書かれていましたが、その後もご体調が優れなかったのでしょうか。

 金森先生からは学部2年、学部3年、修士2年の時と計3回にわたって授業を受けたことがあります。最初に受けた学部2年のオムニバス授業では、その知識の深さと聞き手を惹きつける話のうまさに圧倒されました。私が今まで授業を受けた中でも一番といってもよいくらいに、(著作を読むだけではなく)直接に授業を受けてみたいと感じさせられる先生でした。金森先生の影響でユートピア・ディストピアに関する古典もいくつか読みました。具体的には、『ユートピア』(トマス・モア)、『ニュー・アトランティス』、『ガリバー旅行記』、『1984年』、『すばらしい新世界』、『われら』などです。

 学部3年の際の授業(たしか「知識論・生命論」というような名前だったでしょうか)では、先生の持つ生命観について興味深いお話を伺う機会がありました。詳しい文脈は忘れましたが、私が授業中に小松美彦先生の脳死・臓器移植論に関する質問をした際のことです。金森先生は、小松先生のことを「親友」であるとした上で、小松先生と同様に脳死者の臓器移植には否定的な考えを持っているものの、その理由は異なっているというご意見を展開されました。

 小松先生の批判点の1つは、「脳死」と判定されている患者が痛みを感じているように見えたり、家族の問いかけに反応したりするなど、明確に「死」であると切り分けられないというところにあります。また、死は看取る者と看取られるものの関係性の中にあるものであり、生理学的な基準に基づく死のみを強調することについても批判しています。金森先生がおっしゃられたのは、やや不正確な可能性はあるのですが、「脳死判定の基準よりも、人間の死は周りの人たちが時間的な経過をともなって本来は受け入れてゆくことが重要だ」ということだったと思います。しかしながら、脳死者の臓器移植は、臓器の質を保つ上で脳死判定後にすみやかな手術が必要なため、先ほどまで「生きている」とされた人間がまるで物のようにどんどんとメスを入れられてゆきます。このような状況に違和感を覚えるというのが、金森先生のご趣旨でした。

 修士2年の時は、ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスにおける講義録の1つを読むというものでした。1章ずつゆっくり読むという昔ながらのスタイルでしたが、先生の雑談のうまさにより、飽きることのないものだったと記憶しています。大学院の授業ということで、「だいたい5,000冊の文献が頭に網羅されていれば、その分野で研究者としてやっていける」、「これからの時代は英語さえやっておけば何とかなるし、他の言語を学ぶ時間があるなら英語をやった方がいいという考えもある。しかし、ヨーロッパの歴史はやはり侮れないから、英語以外の西欧の言語を1つ学んでおくのは悪くない」というようなアドバイスもよくされていました。『負の生命論』に見られるように、知識に対するナイーブな見方はもちろん否定されていましたが、それでも根本では人間が学ぶことに対する信頼を持たれていた方だったという印象でした。