藤田一照・伊藤比呂美『禅の教室――坐禅でつかむ仏教の真髄』

 

禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書)

禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書)

 

 

 先日採り上げたマインドフルネスの考えとも通じる部分がありますが、「いかにして現在の経験に集中するか」というのが自分の最近の生活全般のテーマになっています。というのも、普段オフィスで机に向かっていても、「前に拙い発表をして恥をかいたなあ」とか、「次の仕事が決まらなかったらどうしよう」とか、意外と目の前の仕事のことだけを考えるということができておらず、またそれは仕事のパフォーマンスにも明らかに悪い影響を与えているためです。

 禅が現在の経験をありのまま捉えるのを重視しているというのは何となく知っていたので、もう少し勉強してみたいと思っていました。ただ自分の場合はプラグマティックな問題意識がやや強く、禅の歴史や根本思想にはそこまで興味はないので、坐禅という実践を中心に解説するという本書のスタイルは合っていました。

 印象に残ったことの一つは、坐禅における自発性(spontaneity)の重視です。ともすれば坐禅というと足腰を痛める姿勢や、警策など無理を強いるイメージがありますが、本書の著者はそれを否定しています。あくまで結果として確立されてきたのが現在の坐禅のスタイルということで、初めから教条的にそうしなければいけないと思いこむ必要はなく、試行錯誤を重ねて自分にしっくり来る姿勢や呼吸を探すのが大事だということです。この辺りは、アメリカ(足を組めない人が多い)で修行を積んだ著者の柔軟性が現れている部分があるようです。

 もう一つは、自分はプラクティカルな問題意識で勉強をし始めたと書きましたが、それを戒めるような内容です。というのは、著者は瞑想と坐禅を区別し、坐禅は何か目的意識を持ったり見返りを期待したりするものではないことを強調しています。ついつい、「出家しているのでなければ、坐禅を始めるのに何らかの報酬の期待をするのは仕方ないのではないか」とも考えてしまいますが、著者の言う「ただ坐る」ことに集中した方が結果的に長続きしたり、心身にもよりよい影響があったりするのかもしれません。