想田和弘(2011)『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』

 

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)

 

 

 一時期、渋谷のミニシアターによく通っている時期があり、その頃に想田監督の『選挙』『精神』を観ました(ライズXシネマライズともに閉館したのですねえ)。その後の作品は観ていないのですが、先日読んだ吉見先生の本で紹介されていた『ザ・ビッグハウス』は観てみたいなと思いました。

 本書では、『選挙』、『精神』と、その次の作品である『Peace』を題材に、想田監督の提唱する「観察映画」の手法について入門的に解説されています。

 客観的な真実・現実の存在を否定し、また撮影前にあらかじめ台本をつくらずに、撮影者の参与観察によって発見に基づいて作られたドキュメンタリーというようにまとめられます。特に台本を作らないということに関しては、テレビの番組制作における「わかりやすさ至上主義」、「視聴者は理解できないという無信頼」が批判の的に挙げられています。

 ただし、ドキュメンタリーのフィクション性を強調する森達也に代表されるような主張とは異なり、やはり実在する人物や組織であるからこそ観客が興味を持つという、現実と虚構の間の微妙なバランスの上に成り立つというのが想田監督の立場のようです。