斉藤章佳(2017)『男が痴漢になる理由』

 

男が痴漢になる理由

男が痴漢になる理由

 

 

 読み終えたのは少し前なのですが、内容を思い出しながら気になった点をまとめてみます。

 

  • 繰り返される痴漢行為の背景には、少なからず依存症の問題があるということで、前に読んだ薬物依存の事例と共通するものがいろいろとあったと思います。たとえば、どちらも「学習されて繰り返される、強迫的な行為」であるという点でしょうか。
  • ただし、薬物依存については使用行為を非犯罪化して治療に専念させたほうが効果があるのが明らかになっているのに対して、痴漢を含む性犯罪の場合には必ず被害者がいるので、被害者を増やさないためにまずは加害者を逮捕しなければならず、また過度に性犯罪を病理化するのは危険であると指摘されています。実際のところ、著者のクリニックにおける経験では、大半の性犯罪者が「逮捕されなければ続けていた」と口にしていることが示されています。
  • 治療の場においても、松本先生の薬物依存の現場では「安心して薬物を使用しながら通院できる環境が重要」と書かれていましたが、本書の著者は痴漢の加害者に対して、人格批判はしないものの、犯した罪や認知のゆがみに対して厳しく接しているという違いが見られました。
  • 最後のあたりでは、痴漢冤罪ばかりを強調して痴漢被害を矮小化しようとする言説の問題点が指摘されています。その指摘は正しいと思うのですが、そこで周防正行監督の『それでもボクはやってない』の影響が挙げられていることが気になりました。この映画は痴漢冤罪自体というよりかは、日本の刑事裁判や人質司法の問題点を描いたものなので、その辺りまで書かないとフェアな採り上げ方にならないのではないかと思いました(まあ、観た人の多くは痴漢冤罪の恐ろしさばかりが印象に残っているのかもしれませんが)。