藤田一照(2018)『禅僧が教える考えすぎない生き方』

 

禅僧が教える考えすぎない生き方

禅僧が教える考えすぎない生き方

 

 

  • 以前に著者の別の本を、坐禅に興味を持ち始めた頃に読みました。前に読んだほうは対談本でしたが、こちらは一人で読者に語りかけていくスタイルになっています。
  • 前に読んだ原始仏教に基づいた本にくらべると、本書はもう少し理論的というか、いかにも「禅問答」のような難解な箇所も出てきます。しかし、全体としては予備知識を前提としない平易なつくりになっていると言えるでしょうか。
  • 本書を読んでもっとも大きな収穫だったと言えるのは、生死についての捉え方の箇所ですね。曰く、人生は「生」から始まって「死」で終わるという線分のイメージで通常捉えられがちであるけれども、仏教的な世界観では生と死は紙の表裏のように、今この瞬間も同時に存在しているというものです(「生死一如」)。そして、人間の苦しみや悩みは死を忘れた人生観を原因としており、その認識をあらためなければならないとされます。

 

 たとえば今日の午後自分が死ぬとして、死っていう鏡の前にいろんなものを置いてみる。死ぬときには何も持っていけない状況になって初めて、そこで輝くものと色あせるものが出てくるわけですね。

 

  • こういった考え方があること自体は知っていましたが、以前は「今日が人生最期の日だったら、人は享楽的に生きるだけなのではないか」とか、「明日以降が存在するから、節制や投資をするのではないか」とか思っていました。
  • しかし、死がこの瞬間にあると意識することで、過去や未来がほとんど意味をもたなくなり、禅で強調される「現在に徹底して集中する」(というか、現在しか存在しない)状態に至ることになるのだと、なんとなくわかりました。
  • ティーヴ・ジョブズも禅に影響されたことが知られていますが、スタンフォード大学の卒業式スピーチにて、死を意識した日々の生き方の大切さについて述べていましたね。

 



  • 他に気になったこととして、 仏教から派生して広まったマインドフルネスが、しばしば自我を分離・強化して捉えようとすることの問題点が挙げられていました。このような捉え方は、自己を関係論的に捉える仏教的マインドフルネスと区別し、「世俗的マインドフルネス」として批判しています。