Biegert (2017) "Welfare Benefits and Unemployment in Affluent Democracies: The Moderating Role of the Institutional Insider/Outsider Divide"

Biegert Thomas. 2017. "Welfare Benefits and Unemployment in Affluent Democracies: The Moderating Role of the Institutional Insider/Outsider Divide." American Sociological Review 82(5): 1037-64.

 

 寛大な失業給付は就業に対する意欲を失わせてしまうのか、それともよりよい仕事へのマッチングを高めるのかという問題に関して、制度的な文脈による異質性を考慮して分析した論文になっています。

 インサイダー/アウトサイダーの分断が大きい社会では、失業給付はむしろ失業を長期化させるだろうという仮説です。(1)有期雇用者に対する無期雇用者の雇用保護の強さ、(2)労働組合の組織率、(3)賃金交渉の中央化の度合いによって、その分断を指標化しています。

 データは、1992年から2010年のEuropean Labour Force Survey(20ヶ国)と、アメリカのCurrent Population Surveyです。これらは繰り返しのクロスセクション調査ですが、同一の社会人口学的グループが継続して観察されていると見なす、「疑似パネルデータ」に変換して分析しています。これによって、固定効果モデルによる時間不変の変数の除去を可能にしています。

 引用文献を見てはじめて知りましたが、疑似パネルデータへの変換手法にはAngus Deatonが貢献しているのですね。

 

山田史生『絶望しそうになったら道元を読め!――『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する』

 

絶望しそうになったら道元を読め! 『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する (光文社新書)

絶望しそうになったら道元を読め! 『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する (光文社新書)

 

 

 前に電子書籍で買っていたものを、今になって読みました。

 『正法眼蔵』の巻頭に収められている「現成公案」という2,500字程度の短い文章から、禅思想の本質を読み解くというものです。1冊を除いて解説書には頼らないというスタイルであり、そのため随所に、「~おもいます」と著者の解釈が前面に出されています。

 「諸法」と「仏法」のあり方については、観察変数と潜在変数の関係をイメージしながら読みました。著者も、「落下するりんご」と「万有引力」を例に出しているので、あまり間違った捉え方ではないようです。

苅谷剛彦『オックスフォードからの警鐘――グローバル化時代の大学論』

 

オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論 (中公新書ラクレ)

オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論 (中公新書ラクレ)

 

 

 今年の東大の学内広報を読んだ時も思いましたが、日本の大学の置かれている危機や展望について、積極的に発言されていますね。

 

  • 「リアルな競争」と「想像上の競争」という概念は面白かったです。たしかに、日本の大学が置かれた状況は人材や資本がグローバルに移動しているという意味での「リアルな競争」ではなく、大学ランキングを下にして国際競争力が脅かされているという「想像上の競争」の面が大きいのでしょう。
  • オックスフォードのチュートリアル制度による密度の高い知的鍛錬についてはたとえば、東大の入学式の祝辞でも触れられていましたね。また、アクティブラーニングの流れについても批判的であり、履修するコマ数が多く、十分に予習・復習をする時間を前提としていない日本の履修制度の下で、主体的な学習を進めようとするのは危険とのことです。
  • 先生がここ数年の間に取り組まれている、「追いつき型近代」の理論を現代まで延長させ、日本の大学政策とも関連付けるというのは面白いとは思いましたが、論証の正確さについてはどうなのでしょうか。たとえば韓国では異なる分岐が見られるというのは、もう少し細かく見ないといけないような気もします。まあ、全体としては、タイトルにもあるように「警鐘」を鳴らすのが目的で、緻密な検証にはそこまでこだわっていないようにも見えますが。
  • 穿った見方をすると、学力格差の議論の時と同じように、警鐘を鳴らすだけして、その後はまたすぐ別のテーマに移ってしまうのかもなあという気がしています。

Lawrence and Breen (2016) "And Their Children after Them? The Effect of College on Educational Reproduction"

Lawrence, Matthew and Richard Breen. 2016. "And Their Children after Them? The Effect of College on Educational Reproduction." American Journal of Sociology 122(2): 532-72.

 

 公刊されてわりとすぐにダウンロードはしており、読まないとなあとは思っていたのですが、ようやくという感じです。

 世代間の教育達成の関連をパネルデータで「前向き」(prospective)に検証するというのが目的になっています。通常のクロスセクションデータによって、回顧的に得られた親学歴の変数を使用すると、本人(子ども)は代表性があっても、親は代表性がないというのが問題の焦点です。実際に子どもを持った人々の情報しかデータには入らないため、出産行動によるセレクションがあるということになります。

 とりわけ大卒女性は子どもを持ちにくい傾向にあるため、通常のクロスセクションデータでは、親大卒→出産→子大卒という間接効果が適切に推定できないことになります。

 

 本論文はそうした問題を踏まえ、潜在結果モデルのフレームワークにより、パネルデータに対して周辺構造モデルを適用した推定になっています。

 周辺構造モデルにおいて、直接効果と間接効果に分解するという手続きは勉強したことがなかったので、とても興味深いところでした。下位集団ごとに異なるウェイトを計算するというのがポイントですか。

 近年のトレンドなのか、知見の頑健性の検証にもかなり力が注がれていますね。潜在結果モデルによる因果効果の推定は、処置変数の割り当てに対する潜在結果変数の値の条件付き独立(観察されない交絡変数の不在)という直接検証できない仮定に依存しているので、感度分析によってシミュレーション的に頑健性を確認するという手続きですね。

 uniform selection,positive selection,negative selectionという3つのシナリオを仮定しているのですが、ここの詳細は一読しただけではまだ理解できませんでした。

フョードル・ドストエフスキー『賭博者』

 

賭博者 (新潮文庫)

賭博者 (新潮文庫)

 

 

 再読しました。今回も原拓也訳でしたが、紙版ではなくKindle版にて。

 ドストエフスキーのヨーロッパ旅行における経験に深く根ざした作品ですね。作中で主人公を翻弄するポリーナは、当時のドストエフスキーの恋人であり、一緒に旅行をして回ったアポリナーリヤ・スースロワの人格を少なからず反映しているとされます。

 ドストエフスキー作品では、人間精神の矛盾が過剰に描き出されるのが特徴で、高潔な理想を抱いたり、口に出したりする人間が身を破滅させるというような描写がしばしば出てきます。『カラマーゾフの兄弟』には、「聖母の理想をいだいて踏み出しながら、結局ソドムの理想に終わる」という台詞も出てきます。本作では、ギャンブルという要素を媒介させて主人公の身の破滅を描くことで、そうした矛盾や混沌が表現されているといえるでしょうか。

 

 ところで、ここ数年は小説を読む量も頻度も、かなり落ちていました。

 小説自体がつまらなくなったわけではないのですが、小説を読んでいる暇があったらもっと研究をすべきではないかという、罪悪感がしばしばあったように思います。ちなみに人類学者ブロニスワフ・マリノフスキーの日記には、「今日も調査が進まずに小説ばかりを読んでいてしまった」というような記述が頻繁に出てくるのですが、こうした罪悪感は自分だけでないのかもしれませんね。

 しかし、仕事と娯楽をトレードオフに捉えすぎていたのかもしれないなと、他方で思います。当然かもしれませんが、むしろ相互補完的な面もあるのでしょう。特に社会科学の研究では、対象を単純化して捉えようとすることが多いので、ドストエフスキーの小説のように人間社会のきわめて複雑で多様なあり方を教えてくれる作品からは、よい刺激をもらえます。

 

Brinton (2016) "Intentions Into Actions: Norms as Mechanisms Linking Macro- and Micro-Levels"

Brinton, Mary C. "Intentions Into Actions: Norms as Mechanisms Linking Macro- and Micro-Levels." American Behavioral Scientist 60(10): 1146-67.

 

  • ポスト工業社会における出生行動を説明する理論として、3つのものが挙げられる。
  • (1)個人化と、それに伴う個人の出生行動への規範的影響の減少を提唱する理論→しかし、「家族主義的」とされる国々において、出生率はもっとも低い。
  • (2)国家の政策的介入によって、仕事と家庭のトレードオフを調和可能になることを強調する理論→政策によるプラスの効果を示す研究もあるものの、一致した結論は得られていない。
  • (3)個人、特に女性が自らの出生希望を実現する上での制約が、社会によって異なることを強調する理論。McDonaldの「ジェンダー公正」理論は、公的・私的領域におけるジェンダー公正の進捗がもっとも遅れている国において、女性の出生希望と出生行動の乖離がもっとも大きくなると予測する。
  • McDonaldの理論は、ポスト工業社会の中においてもなぜ出生率の違いが見られるかを説明するものとして、注目を集めている。Esping-AndersenとBillariは、ジェンダー公正と出生の多重均衡の存在を提唱している。
  • 「第二の人口転換論」は人々の価値観の変化を強調するのに対して、McDonaldの理論は男女の性別役割分業を支持するイデオロギーと、構造的な条件との矛盾を重視している。こうした見方は、Beckerが新しい家族経済学として提唱した、労働市場への参加と育児の機会費用とのトレードオフという見方と両立しないわけではない。
  • しかし、ポスト工業社会における現実のデータを見るならば、かつて見られた女性の労働参加と出生率の負の関係は、1980年までに逆転したのである。この事実は、女性の労働参加と育児のトレードオフを重視する説明に疑問を投げかける。
  • この論文では、3点の修正がなされた説明を行う。(1)男性を出生の分析の中に再び取り入れる、(2)出産への意志がなぜポスト工業社会ではしばしば実現されないかを説明する、(3)構造的条件と出生行動を媒介する一連の条件として、文化的規範を中心に据える。男性稼ぎ主―女性ケア役割モデルに対する文化的規範を用いて、「低出生のジェンダー本質主義理論」(gender-essentialist theory of low fertility)と呼びうるアプローチを採用する。
  • ジェンダー本質主義アプローチでは、出生の意図を行動に変換する上でのメカニズムとして、ジェンダー役割規範は理論化される。
  • ジェンダー本質主義アプローチは、出生の希望や意図の水準そのものではなく、意図と行動に介在するメカニズムに焦点を当てるのである。すなわち、ポスト工業社会における重要な違いは、個人あるいはカップルの平均的な出生意志ではなく、その意図を実現させることを促進・制約するものとして感じている条件にあると主張する。

 

 実証分析でやろうとしていることは、以前に読んだArpino et al.(2015)とあまり違いはないように思います。しかし、Arpino et al.(2015)はあくまでマクロレベルの分析であることを強調し、ミクロレベルの説明に関しては抑制的でした。それに対して本論文は、Colemanなどにも積極的に言及しているように、ミクロ的な基礎づけを重視しています。

 本論文で提唱されている理論を厳密に検証する上では、個人レベルの変数を入れたマルチレベル分析が適切なのでしょうが、データの制約でまだそこまでやるのは難しいようですね。