UNESCOの「総就学率」と「純就学率」

 

 論文を読んでいて、韓国の2010年の高等教育就学率が100%を超えていて、「?」となりました。なんとなく、兵役を終えて入学してくる人々の影響なのかなとは思ったのですが、定義と計算方法を確認してみました。

 

 当該の数値は、UNESCOの「総就学率」(gross enrolment ratio)という指標に基づいており、またこれに関連した指標として、「純就学率」(net enrolment rate)というものもあるようです。

 Gross enrolment ratio | UNESCO

 Net entorlment ratio | UNESCO

 

総就学率
  • 年齢にかかわらず、ある教育段階における生徒数を、その教育段階に該当する公式の就学年齢人口で割ったもの。高等教育段階については、中等教育の卒業年齢から5歳以内の人口グループを用いる。
  • 総就学率の高さは、標準年齢に生徒が属するかどうかにかかわらず、就学度合いが高いことを意味する。
  • 総就学率は、公式の就学年齢から外れた生徒が含まれる場合や、同一学年の繰り返しによって、100%を超えることがある。この場合、総就学率の正確な解釈のためには、同一学年の繰り返しの度合いや、標準年齢を超えて入学する人々についての追加的な情報が必要である。

 

純就学率
  • ある教育段階において、理論的に想定される年齢グループに属する生徒の合計を、その年齢グループに属する人口の合計によって割ったもの。
  • 純就学率の高さは、公式の就学年齢においてカバーされている度合いの高さを意味する。
  • 高等教育においては、学位プログラムの期間に大きなばらつきがあり、適切な年齢グループを決めることが難しいため、この指標は適切ではない。

 

 韓国について詳しいわけではないのですが、100%を超えるのはそれにしても高いという印象を受けました(同時期の日本の高等教育就学率は58.1%)。大学院の扱いがどうなっているかなど、もう少し調べてみたほうがよいかもしれません。

 

岩波明(2017)『発達障害』

 

発達障害 (文春新書)

発達障害 (文春新書)

 

 

 誤解の多い「発達障害」という概念に関して、豊富な事例とともに一般向けにわかりやすく紹介されています。

 軽症の場合や合併症がある場合に診断が難しいため、幼少期からの生育歴などを含めて事例を詳しく記述する必要があるというのはわかったのですが、それもでやや冗長に感じられる部分がありました。特に、フィクションの登場人物や歴史上の偉人が発達障害かどうかという辺りには自分はあまり関心を持てず、むしろ後半で扱われている支援・治療プログラムがどのような理論に基づいているのかというようなことが、もっと知りたかったです。とはいえ、発達障害に関して素人が知っておくべきことはおおむねこの一冊で網羅されていると思いました。

 2000年代以降に発達障害という用語は一般に広まるようになったということで、たしかに私の子ども時代には耳にしたことはなかったかもしれません。しかし、振り返ってみると本書で言われるASDに該当していそうな事例は身の回りにもあり、コミュニケーションが苦手で対人関係のトラブルをしばしば起こす一方で、学年の生徒全員の誕生日を暗記しているという、限定的な領域における興味と能力を発揮する同級生がいたことを思い出しました。

 

  • ここ10年あまり、発達障害はマスコミでも頻繁に取り上げられ、一般の人々でも耳にするようになったものの、精神科医でさえ正しく発達障害の概念を把握しているのはごくわずかである;なぜなら、これまで医療や福祉で扱われてきた発達障害は比較的重症のものに限られ、また発達障害は児童期の疾患であるとして小児科で扱われてきたため
  • 一般的に「発達障害」は、アスペルガー症候群を中心とする自閉症スペクトラム障害ASD)、注意欠如多動性障害(ADHD)を漠然と指すことが多い;「発達障害」という病名は総称であり、個別の疾患ではない
  • スペクトラムとは「連続体」という意味であり、軽症から重症の人々まで広汎に分布していることを指す
  • ASDの主要な症状は、「コミュニケーション、対人関係の持続的な欠陥」と「限定された反復的な行動、興味、活動」
  • 発達障害は生まれつきのものであり、成人になってから発症するものではない
    • ASDの原因は明らかになっていないものの、家族内の発症率は高く、遺伝的な要因が大きいことは確実
    • 長い間、自閉症などの原因は、「親の養育の失敗」、「親の愛情不足」とみなされてきたものの、現在ではこれらの点は明確に否定されている
  • ASDとくらべてADHDの有病率は高く、小児期においては総人口の5~10%程度に及ぶという研究もある(ASDの10倍以上)
  • ADHDの原因としては、1980年代に「微細脳機能障害仮説」が誤りであることが明らかになってから、ノルアドレナリンなどの脳内神経伝達物質の機能障害によるものだとする仮説が提唱されているものの、まだ検証の段階である
  • 発達障害ADHDをキーワードとする新聞記事、論文は2000年代に大きく増加
  • アスペルガー症候群に対する誤解が広まっている;「対人関係、コミュニケーションの障害」だけでは、診断基準を満たしておらず、他に「同一性へのこだわり」の症状が伴う必要がある
  • アスペルガー」という言葉が広く知られるようになったのは、2000年に起きた愛知県豊川市の主婦殺人事件であるものの、実際はこの事件の加害者に対する診断は誤診であった
  • 検察寄りの結論を出す傾向のある医師は、検察や裁判所から頻繁に依頼される現状があり、これに対して弁護側の依頼による精神鑑定の結果は被告人に有利な傾向がある
  • 過去の研究においては、ASDADHDを持つ人々の犯罪率は、一般の人々よりも高率であるという研究と、ほぼ同等であるというものがあり、明確な結論は得られていない;この理由の一つとしては、診断に伴う曖昧さの影響がある
  • 犯罪率については不明な点があるものの、ASDにおいては、奇異な動機や犯行の方法が見られることがある;さらに社会性・コミュニケーションの障害によって、「反省の情がない」と捜査段階や法廷で否定的に評価されたり、裁判上の有利・不利を省みずに捜査側の誘導に沿った供述をしたりしやすい傾向も指摘されている
  • 成人の発達障害に対する支援プログラムは十分ではなかったものの、近年ではレクリエーションと軽作業を中心としたデイケアが設けられるようになってきた
  • こうしたプログラムは、「うまくこなす」ことが治療の目的ではなく、むしろプログラムを通じて他者と接し、様々な問題やトラブルに取り組むことが主な目標である

Gelman and Imbens (2013) "Why ask Why? Forward Causal Inference and Reverse Causal Questions"

 

Gelman, Andrew and Guido Imbens. 2013. "Why ask Why? Forward Causal Inference and Reverse Causal Questions." NBER Working Paper No. 19614.  

 

 Gelman(2011)による、「前向き」、「後ろ向き」の因果推論という用語に関して、より掘り下げた論文です。

 最近、先輩と『社会科学のパラダイム論争』の読書会をしているのですが、 因果メカニズムに関する章で、いわゆる「コウノトリと出生数」の話が出てくるのですね。この話が疑似相関であると感じるのは、時間的に先行する特定の変数をすぐに思いつくからではなく、2つの変数の間をつなぐ因果メカニズムを直観的に想定できないからだというように述べられています。

 この議論が、本論文で言われるところの、「アプリオリな信念とデータの不一致」、「後ろ向きの因果的問いによるモデルの改善」という箇所と関係していそうだと思いました。

 

  • Gelman(2011)による、2つの因果的問いの区別
    • 前向きの因果的問い(forward causal questions)、すなわち「原因の効果」(effects of causes):Xを行ったとしたら何が起きるか、ある操作の効果は何か
    • 後ろ向きの因果推論(reverse causal inference)、あるいは「効果の原因」(causes of effects)の探求:何がYを生じさせているのか
  • 統計学計量経済学の方法論者が因果推論について述べるときは、おおむね前向きの因果的問いに焦点が当てられている;「なぜ」(why)ではなく、むしろ「~だとしたらどうであるか」(what if)を問うのである
  • この論文の主張は、前向きの因果推論は推定に関わるものであり、後ろ向きの因果的問いはモデルの確認と仮説生成に関わるものだということである;言い換えれば、後ろ向きの因果的「問い」は常に問うているものの、後ろ向きの因果「推論」は行わないのである
  • 「前向き」、「後ろ向き」とは時間ではなく、統計モデルの順序を意味する
  • 前向きの因果推論は、潜在結果モデルあるいはグラフィカルモデルの枠組みで扱うことができる
  • 後ろ向きの因果的問いは、モデルに存在していない新たな変数を探すことを含む;現状のモデルが対象としている現象を十分に説明しているかどうかという、モデルの確認として位置づけることができる
  • 後ろ向きの因果的問いは一般的に、明確に定義できる答えを有しない
  • しかし、このことはそうした問いが価値のないものであるとか、統計学の範疇の外側にあるということを意味しない
  • 後ろ向きの因果的問いは、異常性(anomaly)、すなわち現状のモデルでは再現不能と思われるデータの特徴に焦点を当て、モデルの改善に関するあり得る方向を指し示す
  • 潜在結果モデルの枠組みを用いる長所の一つとして、前向きの因果推論における介入と結果を明確にすることへの動機づけが指摘されてきた;同様にして、後ろ向きの因果的問いの長所として、現状のモデルに対する問題を明確に考えるように動機付けてくれるということがある
  • グラフィカルモデルの観点から言えば、異常性とはアプリオリな信念と一致しない矢印が存在することを意味する;ここから示唆されるのは、ある属性と結果の間の矢印を除去するような新たな変数を含んだ、より一般的なモデルを構築する必要性である

井上達夫・小林よしのり(2016)『ザ・議論! 「リベラルVS保守」究極対決』

 

 

 共通しているのは、ディベートは参加者それぞれがライバルに勝つことを自己目的化したゲームだということ。自分(たち)が勝つためには、ライバルを負かさなければならない。ライバルを負かすことでしか、自分(たち)は勝てない。負かした分しか勝ち取れない。要するに、これはゼロサム・ゲーム(誰かの利得が他の誰かの損失によってもたらされ、利得と損失が「プラマイでゼロ」になるゲーム)だ。

 議論はこのようなディベートとは全く異なる。議論の目的は論的に勝つことではなく、立場を異にする者同士が、相互批判的な意見交換を通じて、真理を共に探求することである。

 

 冷戦終結以降、左右の政治・思想的な対立軸が不明瞭になる中で、「自称保守」、「自称リベラル」の双方から叩かれてきた両者が、リベラル・保守の持つ価値観について、共通点・対立点を議論を進める中で深めていくという内容になっています。主な論点は、(1)天皇制、(2)歴史問題、(3)憲法9条・日米安保の3つ。

 

 井上先生の立ち位置や、リベラリズムの原則については2015年の著書で解説されていることの、おおむね繰り返しですね。ただし、リベラリズムの重視する「公正さ」(fairness)を検証するための「反転可能性テスト」のように、現実の状況で具体的に考えると難しい概念も出てきます。ともすれば抽象的で捉えづらくなりがちな議論が、小林氏の保守側からの問いや反論によって、理解が進みやすくなっているという感想を抱きました。反転可能性の帰結として、 ダブルスタンダードの禁止のみならず、フリーライダーの禁止も導かれるというのは、面白かったですね。 

 

天皇
  • 民主主義は人民が統治者であるけれども、人民にも様々な意見の違いや利害の対立がある;ゆえに人民の集合的アイデンティティが必要になる
  • 天皇をこれだけの人権剥奪状況に置いたまま、「日本人のアイデンティティを守るために悪いけど我慢してください」と、いつまで言えるのか
  • 天皇制支持者も、天皇制存続を望むのであれば、天皇・皇族の「人間としての」権利の尊重にもっと力を入れるべき
 
歴史問題
  • 福田恆存「白い手、汚れた手」→手を汚していない戦後世代が、戦争に赴いた世代の責任を追求することの欺瞞性;ただし、これは日本人同士の内輪の問題であり、侵略された国からの批判に応えなくていいわけではない
  • どうしてオバマの広島訪問時のスピーチを日本人は批判できないのか→自分たちの戦争責任をきちんと決済していないから
  • アジア女性基金の実践に対し、「左」は日本国家の法的責任を曖昧化するものと非難し、「右」は屈辱的土下座外交と断罪した;両者とも法的責任・道義的責任の区別を理解しておらず、日本の道義性を国際社会に示すのを妨げている点では共犯関係にある
 
憲法9条・日米安保
  • 「沖縄よ、ガマンしろ」とはっきり言う「親権力」よりも、沖縄に同情しているふりをして、「県外移転」の受け入れには猛反対する「反権力」のほうが、偽善性という点では質が悪い
  • 誰もが権力性を持っており、その濫用に対する誘惑からは逃れられない;そこで公正な主張をぶつけあうための「政争のルール」が憲法
  • 憲法は自分たちの敵を縛るだけではなく、自分自身をも縛るルールである;「反権力」を標榜する勢力は、自らの権力性のツケを自衛隊や沖縄が払われていることに無自覚である
  • 現代日本では、自称リベラルが愛国心を毛嫌いするだけではなく、愛国心を強要する自称保守にも実は愛国心がない;なぜなら自分の国を自分で守るという意識を持っていないから
  • 「自称保守」が保守したいものがアメリカへの従属構造であるとすれば、そこには何の政治的主体性もない

 

ケネス・ルオフ(2019)『天皇と日本人――ハーバード大学講義でみる「平成」と改元』

 

天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元 (朝日新書)

天皇と日本人 ハーバード大学講義でみる「平成」と改元 (朝日新書)

 

 

 2018年9月のハーバード大学での講義(1~4章)、2018年5月のポートランド州立大学での講義(5章)、2016年11月に『世界』に掲載された原稿(6章)から構成されています。

 改元の前にということなのでしょうが、かなりのスピード感でもって出版された本ですね。誤字もあるし、翻訳の読みづらさを若干感じる部分もありました。なお、帯に「白熱のハーバード大学講義を全収録!」とあるのですが、明らかにマイケル・サンデルのような挑発的な質疑を伴うスタイルの講義ではないと思います(ちなみに先日読んだ吉見先生の本によると、2004年以降はタイトルに「ハーバード」と銘打った本が毎年10冊以上出版され続けているとのこと)。

 

 明仁天皇美智子皇后の目標(アジェンダ)と象徴性には、下記の5つのテーマが見られるとして、それらに関わる経験的事実や右派・左派の反応、グローバルな文脈での解釈のされ方などが紹介されます。
 
  1. 戦後憲法固有のさまざまな価値を含め、戦後体制を明確に支持してきたこと。
  2. 社会の弱者に配慮し、地理的その他の要因により周辺でくらす人びとに手を差し伸べ、社会の周縁との距離を縮めるように努力してきたこと。
  3. 戦争の傷跡、さらに全般的に帝国の時代がもたらした深い傷跡をいやし、戦後を終結させようと努力してきたこと。
  4. 日本が示すべき誇りを堂々と提示してきたこと。ただし、その誇りは、日本史の見方を含め、単純きわまるナショナリズムとは異なる国際協調主義に裏づけられたものであったこと。
  5. 美智子皇后が際立った行動を示し、重要な役割を果たしてきたこと。

 

 2に関しては、1964年パラリンピックにおける選手の激励、ハンセン病療養所の訪問など、明仁天皇美智子皇后は「社会福祉カップル」と形容可能であるという主張が印象に残りました。

 4に関しては戦後の新憲法制定の際に、国事行為のみならず「象徴としての地位における行為」という天皇の公的役割を広く解釈するという戦略を保守派はとったものの、そのことによって、1990年代に入って中国・韓国への戦争の謝罪など、保守派が望まない象徴的振る舞いを天皇が行ってきたという、保守派にとっての「意図せざる結果」が面白かったです。

 

 天皇制というイデオロギーとタブーが強くなりがちな問題において、「アウトサイダー」による視点が理解を助けることがあると著者は述べます。日本人(とはそもそも何かという問題も著者は提起しているのですが)が書いた文章だと、少し捻くれた捉え方をしてしまいそうな箇所も、すんなり入ってくるのを読んでいてたしかに感じました(戦後処理に関する記述など)。やはり日本人の主張の場合には、政治的な派閥や利害関係などと無意識に関連づけてしまうところが自分の中にあるのかもしれません。もちろん、著者が感情論ではなく経験的事実をきちんと積み重ねているという上での話ではありますが。

 また、自らは中道左派を自認しているものの、「自分と同じような考えを持っている人々を分析しても面白くない」と、あえて右派・保守派を対象にするという著者の姿勢も勉強になります。

 

2019年3月のランニング記録

 

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2019年3月のランニング記録

 

 3月7日から計測を開始して、月末までに16回走りました。合計は117.62kmでした。

 花粉症がひどくて、走りたくても走れない日があったのが残念でしたが、おおむね満足できる結果です。

 

 音楽を聴きながらだと退屈せずにすむので、もっぱらスマホ+イヤホン+アームバンドを使って走っています。

 モチベーションが高い日は、OasisGreen Dayなどの洋楽ロックを聴いていますが、疲れていて何も考えずにテンションを上げたい日はレトロゲーム、特にサガシリーズのbgmを流しています。

 

 

ローストポーク

 

 レシピはこちら。近くのスーパーでロースのかたまりが割と安く買えるので、試してみました。

 一時期、豚バラでベーコンをよく作っていたのですが、オーブンを使わないで鍋に放置でよい今回のレシピのほうが気楽と言えるかもしれません。

 玉ねぎはみじん切りまでがんばらずに、もう少し手を抜いて粗くしても問題ないように思います。