[英訳]藤田(1992)「教育社会学研究の半世紀」4節

藤田英典,1992,「教育社会学研究の半世紀――戦後日本における教育環境の変容と教育社会学の展開」『教育社会学研究』50: 7-29.

 

 日本語は繰り返しを厭わない言語ですが、英語ではそれを嫌う傾向があるので、英訳する時はどのように表現を変えるべきか悩まされる場面が多かったです。

 

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献血

 

 近くのWhole Foodsに献血車(blood drive)が来ていたので、献血に行ってきました。学部時代にはしばしば吉祥寺と池袋の献血ルームに行っていたのですが、ずいぶん久しぶりで、かつアメリカでは初めてです。

  • あらかじめウェブで予約し、質問に答えておくことで待ち時間を少なくできるのはよいシステムだと思いました。
  • アメリカの多くの施設と同様に、献血車もめちゃくちゃ冷房が効いていたので、長袖を持ってゆくべきでした。
  • ふだん病院には行きませんし、医学系の論文もそれほどは読まないので、hepatitis、syphilis、Creuzfeldt-Jakob diseaseなどの語彙に触れるのも新鮮な経験でした。
  • 日本だと200mlと400ml献血の区別がありますが、アメリカの赤十字ではないようです(whole bloodという括り)。終わった後になんか多く採られたなという気がして、後で調べてみたところ1パイント(約473ml)が基準のようです。

 

Evernoteのintitle演算子についての不満

 

 Evernoteには検索を便利にするための演算子が設けられていて、そのうちの「intitle:」をよく使っています。指定したキーワードがタイトルに含まれているノートを絞り込んで表示してくれるというものです。たとえば、「intitle:シラバス」と入力すると、「シラバス」がタイトルに含まれたノートを一覧で見ることができます。

 一番よく使う場面は保存している論文を探すときで、特定の著者の論文や、部分的にタイトルを覚えている論文を探すのに重宝しています。また仕事以外でも、保存している料理レシピから、特定の種類の料理を探す際などにも役に立つことがあります。

 ただし、この機能の注意すべき点として、ノートのタイトルが「アルファベット+数字」のような形になっていると、これらを区別せずに一つの単語として認識するために、検索したいノートが見つからないことがあります。

 たとえば、ノートのタイトルを「PISA2003」のようにしていると、「intitle:PISA」とした際に、このノートが表示されません。これを避けるためには、「intitle:PISA*」のようにワイルドカード記号を使用して検索するか、あるいはあらかじめノートのタイトルを「PISA 2003」のようにしてアルファベットと数字の間に半角スペースを入れておくなどの方法を取る必要があります。 完全一致させて検索したいという場面はそれほど多くないので、この仕様は若干不便に感じることがあります。

 なお、「全角文字+数字」の場合には同様の問題は起きず、たとえば「就業構造基本調査2017」というタイトルのノートがあったとして、「intitle:就業構造基本調査」と入力すれば、このノートは表示されます。

[英訳]天野(1983)「教育の地位表示機能について」3,4節

 

天野郁夫,1983,「教育の地位表示機能について」『教育社会学研究』38: 44-9. 

 

  天野先生の文章は、一文が入り組んでいる構造になっていることが多く、英訳するのがキツかったです。格調は高いですが、自分で書くときには真似してはいけないスタイルだと思います。

 

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藤田一照・伊藤比呂美『禅の教室――坐禅でつかむ仏教の真髄』

 

禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書)

禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄 (中公新書)

 

 

 先日採り上げたマインドフルネスの考えとも通じる部分がありますが、「いかにして現在の経験に集中するか」というのが自分の最近の生活全般のテーマになっています。というのも、普段オフィスで机に向かっていても、「前に拙い発表をして恥をかいたなあ」とか、「次の仕事が決まらなかったらどうしよう」とか、意外と目の前の仕事のことだけを考えるということができておらず、またそれは仕事のパフォーマンスにも明らかに悪い影響を与えているためです。

 禅が現在の経験をありのまま捉えるのを重視しているというのは何となく知っていたので、もう少し勉強してみたいと思っていました。ただ自分の場合はプラグマティックな問題意識がやや強く、禅の歴史や根本思想にはそこまで興味はないので、坐禅という実践を中心に解説するという本書のスタイルは合っていました。

 印象に残ったことの一つは、坐禅における自発性(spontaneity)の重視です。ともすれば坐禅というと足腰を痛める姿勢や、警策など無理を強いるイメージがありますが、本書の著者はそれを否定しています。あくまで結果として確立されてきたのが現在の坐禅のスタイルということで、初めから教条的にそうしなければいけないと思いこむ必要はなく、試行錯誤を重ねて自分にしっくり来る姿勢や呼吸を探すのが大事だということです。この辺りは、アメリカ(足を組めない人が多い)で修行を積んだ著者の柔軟性が現れている部分があるようです。

 もう一つは、自分はプラクティカルな問題意識で勉強をし始めたと書きましたが、それを戒めるような内容です。というのは、著者は瞑想と坐禅を区別し、坐禅は何か目的意識を持ったり見返りを期待したりするものではないことを強調しています。ついつい、「出家しているのでなければ、坐禅を始めるのに何らかの報酬の期待をするのは仕方ないのではないか」とも考えてしまいますが、著者の言う「ただ坐る」ことに集中した方が結果的に長続きしたり、心身にもよりよい影響があったりするのかもしれません。

[英訳]天野(1983)「教育の地位表示機能について」1,2節

 

天野郁夫,1983,「教育の地位表示機能について」『教育社会学研究』38: 44-9.

 

 自分自身の研究だけだと英語の表現が拡がらない気がしたので、日本語で書かれた論文を勝手に英訳してみるという作業を始めてみました。

  • ゆるく続ける
  • ミスを恐れない
  • 校正は頑張らない

をモットーに、このブログにも掲載しようと思います。

 

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山岸先生のご訃報

 

 山岸俊男先生が先日お亡くなりになられたのですね。一時期、新制度論の文献を集中的に読んでいた際に、山岸先生の提唱されている文化的選好に対する制度的アプローチはもっと勉強したいと思っていただけに、とても残念です。

 社会心理学は専門から外れるため詳しくはないものの、山岸先生のご研究は理論的に新奇であり、しかも実験によってしっかり裏付けられており、どれも面白く読みました。このブログでもいくつか採り上げさせていただきましたし、授業で教える際のネタとしても使わせていただくことがありました。

 

 

 2010年に東大で開催されたセミナーでは、直接講演を伺うことができました。「デフォルト戦略」についての説明の中で、「日本人だろうがアメリカ人だろうが、焼き肉の最後の一切れに手を出すことに躊躇するのは同じ」(意思決定を行う際の不確実性が低ければ、一見すると文化的振る舞いの差として見えるものは消失する)というたとえ話を挙げられていたのを覚えています。