竹内洋(2005)『丸山眞男の時代――大学・知識人・ジャーナリズム』

 

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

 

 

 以前に購入して積ん読状態だったものを消化しました。

 あとがきによると、「丸山の言説を個人のものとして分析する(せまい意味での)思想研究ではなく、戦後大衆のインテリの世界の中で丸山の言説を読み解く知識社会学あるいは社会史的アプローチによる戦後日本論」を書きたかったのことです。

 ブルデュー文化資本・権力場の議論を援用しつつ、丸山眞男吉本隆明の出身学校歴を比較して、丸山の学歴貴族としての正統性を論ずるといったようなことは、竹内先生にしかできない芸当というか、そもそも普通は思いつきもしないことであると言えるでしょう。

 

 長めの序章・終章の間に、4つの章が挟まれています。

序章 輝ける知識人

1章 ある日の丸山眞男――帝大粛清学術講演会

2章 戦後啓蒙という大衆戦略

3章 絶妙なポジショニング

4章 大衆インテリの反逆

終章 大学・知識人・ジャーナリズム

 

 おおむね、各章は次のような内容としてまとめられるでしょうか。

  • 1章:戦前期における、蓑田胸喜をはじめとした国粋主義者による知識人の弾圧と、それが丸山に与えたトラウマ
  • 2章:戦後の大衆社会状況が戦前の超国家主義という同じ轍を踏むことなく、安保闘争という市民運動の隆盛、マス・インテリ化という反対の方向へ向ったことへの丸山の満足
  • 3章:「超国家主義の論理と心理」以降の、進歩的知識人のオピニオン・リーダーという丸山の役割、「法学部の政治思想研究者」という絶妙なポジショニングという条件が、大学場とジャーナリズム場における「象徴資本の増殖効果」を促したこと
  • 4章:安保闘争以降の右派・左派双方からの批判、ノンセクト・ラジカル全共闘)という自らが作り出した鬼子に糾弾されるという、「大衆インテリの反逆」

 

 終章では、大学場・ジャーナリズム場の変容に触れられています。本書が書かれた頃(2005年)の変化として、法科大学院の設置が挙げられており、これを「法学部的知と文学部的知の切断」として、大衆教養主義の没落と結びつける視点を提示しています。2015年以降に論争を招いた、文系学部の全廃論を読み解く上でも、大衆教養主義の歴史を踏まえるのは重要そうだと思いました。