ガーツ&マホニー(2014=2015)『社会科学のパラダイム論争――2つの文化の物語』

 

社会科学のパラダイム論争: 2つの文化の物語

社会科学のパラダイム論争: 2つの文化の物語

  • 作者: ゲイリーガーツ,ジェイムズマホニー,Gary Goertz,James Mahoney,西川賢,今井真士
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2015/08/20
  • メディア: 単行本
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 本書が定量的研究と定性的研究という2つの伝統に注目したのにはさまざまな理由がある。まず,定量的研究・定性的研究という区別は,ほぼすべての社会科学者の言い回しに組み込まれ,さまざまな研究を区別するときの一般的な判断基準として役立っている。ほとんどの社会科学者は定量的研究と定性的研究の対立を口にするが,その両者の違いを同じように理解しているわけではない。筆者たち自身も含め,「定量的」(quantitative)・「定性的」(qualitative)という名称では2つの研究伝統の最も顕著な違いをあまりうまく把握できないと思っているはずの研究者でさえ,その専門用語を使わないわけにはいかないと感じてしまうのである。

[p. 6]

 

  1章を読みました。前にも関連する文献を読んでいますが、新しく担当する授業の導入に使えるかもしれないと思って、ネタ探しのために読み始めています。

 「Desining Social Inquiryとは正反対の立ち位置にある」(p. 2)と明確に断られていますね。たしかに本書のように「2つの文化」を強調する方が、定量的・定性的研究それぞれの、現に行われている実践をすんなり理解しやすいよう思います。というのも、DSIの主張は多くの点で的確ではあるものの、その推奨するアプローチを適用する上での困難さに当惑させられることの方がむしろ多かったからかもしれません。

Granovetter(2017)Chapter 1 "Introduction: Problems of Explanation in Economic Sociology"

 

Society and Economy: Framework and Principles

Society and Economy: Framework and Principles

  • 作者: Mark Granovetter
  • 出版社/メーカー: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press
  • 発売日: 2017/02/27
  • メディア: ハードカバー
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 しかし、過剰社会化された見方と、古典派・新古典派経済学の過小社会化と呼びうる説明との明白な対比は、重要な理論的アイロニーを覆い隠してしまう。両者は原子化された行為者という思考を共有しているのである。過小社会化された説明においては、原子化は自己利益の狭い追求から生じる。過剰社会化された説明においては、内面化されているがゆえに現在進行している社会関係からほとんど影響されることのない行動パターンによって生じている。

[p. 13]

 

 とりあえず1章読みました。導入部分ということもあり、自分にとってめちゃくちゃ新しい知識というのはありませんでしたが、DurkheimやParsonsなど歴史的な議論の中に位置づけて問題を展開してくれているので、自分の頭の中もうまく整理された気分になります。

福沢諭吉『学問のすゝめ』

 

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

 

 

 冒頭だけ読むと、単に個人の平等を謳ったものであるとか、あるいは立身出世の方法を論じたものだとか誤解しそうになりますが(恥ずかしながらちゃんと読んだことがなかったので、自分はそんなイメージがありましたが)、通して読むことで近代主義者としての福沢諭吉の思想が伝わってきました。

 第一編が書かれたのが明治5年であり、すでに日本は開国して数年が経過し、物質的・形式的には西洋の文化が様々に入ってきたものの、人々の精神的な面では未だ封建時代と何ら変わっていないと、福沢は舌鋒鋭く論じています。つまり、日本が近代国家になるためのエートスの転換を随所で求めています(「一身独立して一国独立す」)。

 特に、第六編(「国法の貴きを論ず」)は、社会契約的な観点による国家論や、近代国家における「合法的支配」の重要性が展開されており、今日においてもまったく色あせていないように感じます。

 第七編(「国民の職分を論ず」)では、法の支配が優越する近代国家では、暴政に対しては「正理を守って身を棄つる」として、論を以って政府に訴えるべきだとしています。しかしこのことを強調するために、封建時代の忠義の関係によって自らの命を抛つことを、「その形は美に似たれどもその実は世に益することなし」と強い言葉で非難したことは、様々な反発を招いたとのことです。巻末の小泉信三による解説によれば、当時の文部省の担当者はみんな慶應義塾出身であったことから、福沢は検閲を恐れずに大胆な筆致であったということですが、面白いですね。

 他に興味深かったのは、福沢が学問と述べる際の、「実学」の強調でしょうか。福沢は伝統的な漢学が思弁的で文明の進歩をもたらしていないことを批判します。また自身が先駆者として日本に取り入れてきた洋学についても、単にそれを知識として取り入れるだけで活用をしないことについても戒めています。

 

Stataのmlexpコマンドにおける欠損値指定

 有限混合モデルの一種を適用するために、Stata13以降に搭載されているmlexpコマンドを用いて最尤推定する作業を、ここ数日進めていました。

 しかし、なぜか初期値からエラがー出てしまい、何度確認しても尤度関数は間違っていなさそうなので、いいかげん発狂しそうになっていました。昨日、新幹線の中にて、欠損値指定の問題だということがようやくわかりました。

 もともとSPSS形式であったデータをStataに変換して用いていたのですが、SPSSデータにおけるユーザー指定の欠損値が変換時に妙な値になっていたようです。Stataにビルトインされているコマンド(regやprobitなど)では、こうした値も欠損値として自動的に処理してくれるようですが、mlexpは1つのobservationとして用いようとするようです。

 あらかじめ欠損値としてあらためて指定しておくか、mlexpのオプションであるvariables()で指定することで解決しました。

 

『1日外出録ハンチョウ (1)』

 

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

 

 福本作品で食が絡むシーンは、どちらかというと非日常な場面が思い出されます。たとえば、カイジの「キンキンに冷えたビール」や、アカギのふぐ刺しなどで、緊張感の漂う状況で強烈なインパクトを与えているケースです。

 そのため、本作のように終始ほのぼのとしたノリで食のシーンが展開されてゆくというのは、予想外でありシュールでした。ただ、大槻班長が食に臨む姿勢はいたって真剣であり、そこから生み出される「シリアスな笑い」という意味では、黒沢の「アジフライ作戦」と共通するものがあるかもしれません。

6/14(水)神宮球場 ヤクルト―楽天

 

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 5年ぶりに野球観戦してきました。三塁側内野席にて。

 ちなみに最後に観に行ったのは、東京ドームでの巨人―楽天戦で、杉内投手による完全試合未遂の試合でした。

 

 この日の先発はヤクルトが由規投手、楽天が安楽投手(今季一軍初登板)。楽天側はほぼ毎回のように出塁するものの、好機をつかみきれず、3-2で敗戦という結果でした。今季の楽天打線の好調や、前日も12点を上げていたことを考えれば、由規投手の粘りが光った試合という感じでした。

 

Card and Krueger (1994) "Minimum Wages and Employment: A Case Study of the Fast-Food Industry in New Jersey and Pennsylvania"

Card, David. and Alan B. Krueger. 1994. "Minimum Wages and Employment: A Case Study of the Fast-Food Industry in New Jersey and Pennsylvania." American Economic Review 84: 772-93.

 

 最低賃金の教科書的なモデルにおける中心的な予測とは異なるものの、パネルデータを用いて最低賃金の変化による影響を受けた市場・雇用主であるかどうかの比較を行った近年の多くの研究と一致して、ニュージャージー州における最低賃金の上昇はファーストフード・レストランの雇用を減少させたという証拠は見出されない。最低賃金5.05ドルへの影響を受けたニュージャージー州の店舗を、ペンシルベニア州東部の店舗(最低賃金は時給4.25ドルで一定)と比較しても、もともと時給5.00ドル以上の賃金であった(よって法律の変更による影響をほとんど受けない)ニュージャージー州の店舗と比較しても、最低賃金の上昇は雇用を増加させたのである。この結論の頑健性を証明するために、様々な別の特定化の仕方を提示した。いずれの特定化によっても、雇用に対する負の効果は見られなかった。さらに、最低賃金が上昇した後の年において、ニュージャージー州、ペンシルベニア州、ニューヨーク州の間で、ファーストフード産業で働く未成年者の雇用の変化も検証した。結果は同様にして、ニュージャージー州では低賃金労働の雇用が相対的に増加しているというものであった。くわえて、最低賃金の上昇がマクドナルドの直営店の数に対する負の効果があるという証拠も見出されなかった。
 最後に、ニュージャージー州ではペンシルベニア州よりもファーストフードの食事価格が上昇したことが示された。つまり、最低賃金の上昇による負担のほとんどは、消費者に転嫁されたのである。しかしながら、ニュージャージー州の中では、最低賃金の上昇の影響をもっとも受けた店舗において、より価格が上昇したという証拠は得られなかった。全体として、これらの知見は標準的な競争モデル、あるいは雇用主が供給制約に直面しているというモデル(例えば、需要独占や均衡サーチモデル)による説明が困難なものである。

[pp. 791-2]

 

 差分の差分法(difference in differences)を使うかもしれないので、ちょっと勉強しています。教科書的な事例としてよくこの論文が引用されるので、読みました。

 事業所レベルのデータではよく使われるのかもしれませんが、「フルタイム等価雇用」(full-time equivalent employment)というのが従属変数になっています。各事業所において、フルタイム労働者を1とし、パートタイム労働者を0.5とするものです。頑健性の確認のために、後の分析ではパートタイムに対するウェイトを0.4と0.6に変えるという手続きも行われています。

 全体として、頑健性の確認が神経質なほどに行われているという印象ですが、これでも因果効果を測定しているかどうかにはいろいろと批判が行われたというのは驚きます。批判に対するリプライ論文もあるようなので、読んでみたいと思います。