高田里惠子『グロテスクな教養』

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

受験学力が真の優秀さとは見なされない日本の社会における、学歴エリートの差異化の手段。常に教養は批判の対象となり、それを受容するのはむしろ教養主義的な人だった。教養と職業は対立するものであり、旧制高校出身者も就職した途端に教養から離れた。また、職業と対立するものであるために、未来の見通しがなかった戦時中にこそ教養が求められた。日本の高等教育はドイツから理念やカリキュラムではなく、官僚養成の手段としての部分のみを輸入したがゆえに、教養は学校ではなく自らの読書によって身につけるものと見なされた。教養主義が最後の輝きを持っていたニューアカの時代。アカデミズムとジャーナリズムの「正統性の相互依存」を支える要素としての教養。女性の上昇婚の手段としての教養。教養主義的であることが、むしろ良家の女性には拒絶されるという青年の悲哀。
などなど、教養および「教養主義論」をめぐる様々な現象に見られる人々の欲望をグロテスクに(?)描きだしている。


専門はドイツ文学の人みたいだけれども、非常に社会学的。引用している文献も。


発売当初から注目してはいたのだけれど、今さら読んでみた。
何で注目していたかというと、
http://twitter.com/chayka2さんが、かつてものすごく(内容ではなく)タイトルを気に入っていたからなんだけどね。もう5年前。