Thelen and Kume (1999) "The Rise of Nonmarket Training Regimes: Germany and Japan Compared"

Thelen, Kathleen and Ikuo Kume. 1999. "The Rise of Nonmarket Training Regimes: Germany and Japan Compared." Journal of Japanese Studies 25:33-64.

 著者たちははじめに、ドイツと日本を、アメリカやイギリスのような自由市場経済とは異なり、企業が労働者の訓練投資に大きな役割を担っている国として位置づけます。アメリカやイギリスでは、費用が回収できずに労働者が離職してしまうことをおそれて、雇用主は訓練投資を行うことに消極的であるとされています。これは、FinegoldとSoskiceの言葉を用いれば、「低技能の均衡」(low skill equilibrium)と表せるとのことです。この集合的行為に関する問題を、ドイツや日本は乗り越え、高技能の均衡が起きているとされています。
 しかしながら、技能形成システムとして見ると、ドイツと日本は大きく異なった原理に基づいており、また異なった制度設計によって維持されているということが主張されます。ドイツでは企業間で移転が可能な技能を持った労働者の供給が行われる国家レベルのシステムが存在するのに対して、日本では強固な内部労働市場を基盤とした企業レベルの訓練が行われています。著者たちは、Swensonの言葉を用いて、ドイツを「連帯主義」(solidarism)、日本を「分断主義」(segmentalism)と形容します。
 ドイツと日本どちらのシステムも高い技能を持った労働者の供給が一定程度に担保されるものの、異なった帰結も生まれるといいます。それは、Streeckによれば、ドイツのように技能が国家的に保証をされていれば、それは移転可能なものになり、労働者は企業からの退出オプションを保有することができるということです。一方で、日本のように技能形成が企業レベルである場合には、労働者はそうしたオプションを保有できずに弱い立場におかれてしまいます。ただし、それでも雇用主が労働者に投資をするということは、退出による費用を高めることには変わりません。
 著者たちは、ドイツと日本の異なった訓練レジームについて、その起源を産業化の初期における職人のセクターに求めることができるといいます。まず自由市場経済が成り立っているアメリカとイギリスでは、産業化によって職人の組織が破壊されたか(イギリス)、そもそも存在しなかったか(アメリカ)という状況がありました。国家的な抑圧が小さいという条件によって、技能をもった労働者たちは結束して、利益を守ろうとしたとのことです。こうした労働者の組合は、徒弟制に制限を設けようとしたものの、雇用主はこれに対して猛烈に反対し、この対立が徒弟制と訓練のシステムを悪化させたといいます。
 これに対して、ドイツと日本においては、産業化は国家の庇護の下で起きました。また、職人のセクターが生き残り、労働組合はより後になってから形成されることになりました。これにより、技能形成の問題は資本家と労働者の間で起こるのではなく、職人セクターと近代的な産業セクターの間で起こることになったといいます。
 ドイツと日本の違いは、国家がどのように職人セクターを取り扱ったかだといいます。ドイツでは、職人セクターの近代化が促進されたのに対して、日本では解体が進んだといいます。日本では海外の技術者を招聘し、国有企業において訓練プログラムの構築が進められました。これに私企業が追随するかたちがとられました。企業は、伝統的な職人(親方)を取り込むことで技能形成の問題を解決しようとし、「分断的」な経路をたどることになります。こうしたドイツと日本の違いは、1920年頃までにはっきりと現れるようになっているということが主張されています。
 訓練費用が回収できる前に労働者が離職してしまうことを防ぐために、ドイツでは徒弟制が発達したといいます。これによって、徒弟は技能資格が得られるまで低い賃金で企業に留まらなければならないためです。日本では同様のメカニズムが存在しなかったため、親方は訓練の責任を放棄することができるし、また丁稚も出てゆくことができるという状況にありました。両国に存在していた問題を簡潔に言えば、日本では「労働力の移動を統制する」ことであるのに対して、ドイツでは「技能の証明を行う権利を確実にすること」(職人セクターが独占を行うことができるかどうか)であったといいます。
 日本においては、親方は組織されていなかったので、個別の親方と契約をしなければいけなかったということです。しかしこれでは親方が企業間の競争を促す力を行使することを防げません。日本では失敗を重ねた上で、訓練が内部化されてゆくことになります。
 著者たちは重要なこととして、20世紀初頭における日本とドイツの労働者が保有していた技能は、実際には大きく異なっていたわけではないだろうといいます。しかし、日本では企業レベルの訓練が行われていたものの、転職率の高さからして、技能それ自体は移転可能性が大きかっただろうとしています。一方で、ドイツにおいても、技能の保証が行われているからといって、必ずしも標準化されていたとはいえず、より後の時代になって技能の標準化は進んだと分析されています。