Boice (1990) Procrastination, Busyness, and Bingeing

Boice, Robert. 1990. "Procrastination, Busyness, and Bingeing." Behaviour Research and Therapy 27: 605-11.

 

 研究者が論文を書くこと(というか、むしろ書かないこと)について、多くの業績を出されている先生ですね。1984年には、「なぜ研究者は書かないのか」(Why Academicians Don't Write)という直球なタイトルの共著論文もあります。

 本論文は、テニュア・トラックに乗った新人教員が、どのように時間を使い、どれだけ論文を書いているのかを調べています。さらに、生産性の低い研究者に対する介入実験の結果が紹介されています。小サンプルの事例ではあるものの、興味深いデータになっています。

 

  • 研究時間について回顧的に尋ねた場合と、より正確に記録をつけさせた場合を比較すると、回顧的に尋ねた場合の方が、長い労働時間を答える傾向が見られる。こうした過剰な見積もりは、通常よりも忙しい時期をより記憶して回答していることが、理由として考えられる。
  • 回顧的な回答では、非常に長い労働時間が答えられているにもかかわらず、同時に論文の執筆については非常に楽観的な予測が行われやすい(計画通りに執筆が進むと思われている)。
  • 一日の大半を一つの作業に当てる研究者(bingers)は、そうでない研究者(nonbingers)よりも、多忙感を強く持っている。これは多忙であると感じると、他の作業による干渉をより嫌うようになるためだと考えられる。
  • また、bingersは過剰に授業準備に時間を割り当てていると判断される傾向があった。
  • bingersは実際に執筆できた論文の数がより少なく、生産性が低い。しかし、同時に論文を書くことについては、nonbingersよりも高い優先順位を置いている。これはMinskyの法則を表している。すなわち、私たちがもっとも高い優先度を置くものは、非現実的なものになりやすいがゆえに、実際に行われる確率はもっとも低くなるというものである。
  • 多くの研究者は、論文執筆のためにはまとまった時間を確保することが必要であると思っている。しかし執筆に過度な優先度を置き過ぎると、そのために必要と感じられるまとまった時間を確保できることはめったにないために、実際の執筆につなげることが困難になる。
  • 執筆の遅滞(procrastination)を解消するために、研究者に対する介入実験を行った。協力に応じた研究者に対して、一日あたり15~60分の執筆計画を立ててもらった。さらにこうした計画を実施できているかどうか、実験者が定期的に確認に訪れることに応じてもらった。
  • 例外はなく、生産性の低かった研究者は、規則的な執筆の習慣を身につけ、より多くの成果を出すことができるようになった。さらに介入後には、多忙感が弱くなり、また執筆に高い優先度を置く割合も低下したことが確認された。
  • 一つの作業に集中しすぎて結果的に論文を一気に書き上げることになることが、生産性の低下につながることは、あまり意識されていない。
  • 研究者は、論文を執筆して成果を出すことが生き残りのためになり、他のキャリア上の報酬に大きくつながることを知っている。しかし同時に、執筆は難しい仕事であること、すなわち長期的な努力が必要であり、リジェクトや恥を伴うリスクがあることも知っている。
  • 解決方法はおそらく、論文の執筆を現実的にほとほどか、あるいは低い優先事項にすることである。執筆は楽しむべき仕事であると説得することに努めるのではなく、やはり厄介なものとして表されるのが適切なものかもしれない。このシナリオでは、執筆は渋々とではあるかもしれないが、日々のより重要な仕事の中の短い時間で行われるべきものである。従って、教育のように他のもっと魅力的な仕事と競合するものであるかのように、執筆の仕事を取り繕う必要はない。
  • 本論文における証拠は、新人教授が毎日の短い時間に執筆を行うことによって(とりわけ外的に執筆を促すことを応じた際に)、はるかに生産的になるというものである。
  • 実際のところ、毎日の短い時間で執筆を行うように介入した際には、いくらかの抵抗も見られた。しかし、参加した研究者たちは、執筆を現実的に低い優先事項に置くことは、うまく働くことを認めるようになったのである。

 

 著者は、書くことは才能によるものではなく、訓練によって身につくものであるという考えを、一貫して持っているようですね。そもそも本論文が、Behaviour Research and Therapyという、感情・行動療法に関する雑誌に載せられているのも、適切な介入よって誰でも書けるようになるのだ、という著者の考えを反映したものだと思われます。