論文を書く上でのPassionの重要性について

長い文章を書くのが苦手だ。
1000文字くらいだとか、比較的短い制限時間が設けられている筆記試験だとともかく、4000字以上のレポートになるとどうも苦手意識がある。書くにしてもやたら時間がかかる。

これまでは、自分が元理系であることに原因があると考えていた。理系だと、受験勉強における数学の答案が顕著だが、いかに明快に文章をまとめるかということが重視される。それに慣れてきたせいで、文系のレポートは、「どうして同じことを冗長に繰り返さなければいけないの? もっと簡潔にまとめればいいのに」と思わされることがしばしばあった。

が、自分が長い文章を書けないのはどうやらそういうわけでもなさそうである。

卒論を書いていて思うのは、文字数が多くなればなるほど、もともとの問題関心がしっかりしていなければ書けないということ。
要は、文の内容に先立つ「情熱」の重要性。

論文というのは、新たな知見について、他人に公開することを目的としているのであって(卒論はその真似事だから、全くそうだとは言えないが)、何かしら「言いたいこと」がなくては論文ではない。自分は卒論で何を言いたいのか、よく分かっていないことに今さら気づく。

論文の内容自体は、客観的なものではなくてはならないが、論文を書き始める前には、きわめて主観的に対象を選びとられていなければいけない。マックス・ヴェーバーの言う「価値自由(Wertfreiheit)」の概念が少し分かった気がする。

単に勉強して満足するだけなら、研究する意味はない。もう少し積極的に発信することを考えないと。