マックス・ヴェーバー『宗教社会学論選』

宗教社会学論選

宗教社会学論選

 近代ヨーロッパの文化世界に生を享けた者が普遍史的な問題を取扱おうとするばあい、彼は必然的に、そしてそれは当をえたことでもあるが、次のような問題の立て方をするであろう。いったい、どのような諸事情の連鎖が存在したために、他ならぬ西洋という地盤において、またそこにおいてのみ、普遍的なヽヽヽヽ意義と妥当性をもつような発展傾向をとる文化的諸現象――少なくともわれわれはそう考えたがるのだが――が姿を現すことになったのか、と。
(p.5)

人間の行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によってつくりだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍手として軌道を決定し、そしてその軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。
(p.58)

ヴェーバーの『宗教社会学論集』の中から重要な論文が抜き出されたもの。

近代資本主義がなぜ、他ではなく西欧においてのみ発達したのかということについて、ヴェーバーは現世拒否、世俗内禁欲を教義とする宗教に重要性を付与した。

本書所収の論文では、現世順応的な性格の儒教と、現世拒否の性格をもつピュウリタニズムの比較社会学によって、資本主義の発達を促した合理的精神が論じられる。

また、「宗教社会学論集 序言」、「世界宗教の経済倫理 序論」では、「家政と経営の分離」、「合理的な簿記の発達」という近代の合理的な資本主義的経営組織の特徴が述べられていたり、「カリスマ的支配、伝統的支配から合理的支配へ」という支配の理念型についても述べられていたりする。それから「世界宗教の経済倫理 中間考察」では、芸術、性愛といった他の文化領域と宗教の結びつきが分析されており、いずれも単に宗教の議論には到底とどまっていない。