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Boudon (1995) "Should One Still Read Durkheim's Rules after One Hundred Years?"

Boudon, Raymond. 1995. "Should One Still Read Durkheim's Rules after one Hundred Years? (lnterview with Massimo Borlandi)." Schweizerische Zeitschrift für Soziologie 21:559-73.

 Durkheimの『社会学的方法の規準』が出版されてから100年の節目に行われた、Boudonへのインタビューを基にした論文です。
 Boudon先生曰く、

  • Durkheimの主張に納得ができないのは、その実証主義(positivism)である。Durkheimは、社会学が他のいかなる科学とも同じように、科学的になりえると述べた点では正しかった。しかし彼は、科学についての捉え方を間違っていた。実証主義の基本的な主張は、(1)観察されない要因からはいっさいの説明を行わない、(2)観察される要因間の規則性について分析を行う、というものである。これら2つの原則は、『社会学的方法の規準』にも、『自殺論』にも見られる。またこれらの原則は、物理学におけるMachの経験批判論、心理学における行動主義、Malinovski流の文化人類学における機能主義、Lévi-Strauss流の文化人類学における構造主義の背後にも見られる。しかし、これらの考え方はどれも現在では無意味なものとまでは言わないまでも、少なくとも非常に物議を呼ぶものだと見なされている。すべての科学は観察されない要素を導入しているし、また実りのあるものとなるためにはそれを導入しなければならない。物理学における「力」(force)とは、観察することはできないが、欠かすことのできない要素である。同様のことは社会学においても当てはまる。集合的(collective)な現象は個人の振る舞いの結果であるので、個人の振る舞いを説明することは、社会学的な説明においては必然的に重要である。そして、個人の振る舞い、信念、行為を説明することは、なぜ個人がそのような形の振る舞いをしたか、あるいはなぜそのようなことを信じたのかということと同等である。しかし、これらの理由(reasons)はけっして観察されることはない。これらは推測され(reconstructed)なければならない。これらの「理由」を無視した社会学理論は、「力」を無視しようとした際の物理学と同様に意味のないものであり、また不可能なものである。
  • Durkheimは用語の定義について、ナイーヴな考えを持っていた。彼は、科学においてある概念は定義さえされれば、受け入れられるものだと考えていた。しかし、ハードな科学においてさえ、これは正しくない。「原因」(cause)のような単語はけっして定義することはできないが、大半の科学において不可欠なものである。Durkheimは、そのナイーヴな考えによって、例えば彼の「宗教」の定義に見られるように、議論を巻き起こす多くの概念の定義を提唱することになった。
  • Durkheimは、方法論についての箇所で、行為の理由は考慮されるべきではないと主張した。しかし、彼の実証分析、特に『自殺論』においては、理由の推測が行われているのである。Durkheimは、この自身の矛盾に気づいていないわけではなかったかもしれない。というのも、多くの議論がとても冗長(prolix)だからである。しかし彼は、独身者と既婚者、男性と女性、好況と不況の際の自殺率の違いについての理由を「理解」(understand)しようとする際に、理解するとは心理学的であり、また社会学から心理学的な説明は排除するべきだと考えていた。よって、彼はその理解の段階において矛盾を避けるためには、暗示的(allusive)であることしかできなかった。
  • 自殺のように、個人の様々な理由が集合的な結果に影響している現象の場合には、「アノミー」や「利己主義」(egoism)のような曖昧な原因を導入することは正当であるかもしれない。しかし、個人レベルの視点に立った方法論を用いることで、さらに議論を進めることができるだろう。もちろん、集合データにおける個人レベルの理由については、推測が難しい物もある。しかし、それは目標として常に維持されるべきである。
  • Durkheimが社会学の方法論に行った主要な貢献はおそらく、彼が多変量解析を予期していたことにある。あるいはより一般的に言えば、彼は相関関係から因果関係を推論するには、偏相関に基づく注意深い方法を用いなければならないということを、よく理解していた。
  • 方法論的個人主義が擁護されるべきであるのは、あらたな知識をくわえるという点において、他の方法論よりも成功しているからである。TocquevilleやWeberは、方法論的個人主義に基づくことで、多くの難問を説得的な形で解くことができた。方法論的個人主義においては、行為者の行為や信念の「理解」が中心的な要素になっているからである。また、方法論的個人主義は、すべての科学の理想である客観性とも矛盾しない。理由を推測するということは、単に思いつき(inspiration)を用いるということではないのである。さらに、集合データに対する説明と、方法論的個人主義は両立しないという批判についても、TocquevilleやWeberの研究はそれが当たらないことを示している。
  • 60年代の初期の頃は、Durkheimはフランスにおいてほとんど忘れ去られていた。Louis Althusserは、Durkheimは完全に時代遅れで読むに値しないものであると述べていた。私[Boudon]に関して言えば、Durkheimについての研究をさらに進めようとした時には、概念の曖昧さ、方法論的全体主義、科学についての狭い考え方に、すぐに憤慨させられ(exasperated)た。一方で今でも、その数々の洞察(intuitions)と実証分析については敬服している。