マル激トーク・オン・ディマンド 第262回「それでもあなたは食べますか」


http://www.videonews.com/on-demand/261270/000387.php

食品添加物の話。ああ、自分ってよく分からないものを口にしているんだなあと思った。
「添加物」という名前からはメインの食材に補助的に付加されたもの、というイメージが浮かぶが必ずしもそうではないのか。

水と油からつくられ、全く乳成分が入っていない「コーヒーフレッシュ」、白い粉と着色料からつくられた「イクラ」、無果汁のおいしい「オレンジジュース」など、作られる場を目の当たりにすると驚きだった。

また、単純に添加物をなくせばいいという懐古主義的な発想に至っていないことに好感が持てた。もはや、添加物は身の回りに溢れすぎて、それなしには済ませられなくなっている。よって添加物業者を批判すればよいというものでもない。現実には、利益を求める業者と、安さ・おいしさを求める消費者の共犯関係が成立しているわけなのだから。

本質的な問題は、様々なリスクと便益を比較した時に消費者としてどういう選択をするべきかということだと思った。
その意味で、「(特に子どもの)味覚が破壊される」、「食生活が変質する」というような言葉が印象的だった。

イタリア北部発祥の「スローフード」運動も、こうした問題意識に基づく。「早い・安い・うまい」と三拍子揃ったファーストフードは確かに魅力的だが、それは自分たちの伝統的な食生活を変え、場合によってはコミュニティを破壊してしまう。だから手間暇をかけても土着の食材や料理を守ろうというものだ。

日本における添加物の問題は、人体への有害性だけではなく、もっと社会の維持・再生産の観点から語られてよいように思う。例えば、添加物の入った食べ物の便利さに、手間暇をかけて作る料理の楽しさや、その過程でのコミュニケーションの価値を対置させることは、陳腐ではあるが悪いことではない。

近年話題の「食育」も、聊か冷ややかに見ていたのだが、少し可能性を感じた。