橋本努『自由に生きるとはどういうことか――戦後日本社会論』

自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会編 (ちくま新書)

自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会編 (ちくま新書)


戦後日本社会において、「自由」とはどのようなものであったかを、時代ごとに論じた本。

「自由に生きる」という問いは、「自由な社会はいかにして可能か」という制度の問題と密接に結びついている。おそらく私たちは、社会が自由になっても不自由にしか生きられないからこそ、「もっと自由な社会」について、あれこれと空想するのであろう。自由は必然的にユートピアにとどまるものだが、そのユートピアが駆動因となって、社会の制度変革が導かれていく。だから自由主義は、「空想的自由主義」とならなければならない。イマジネーションが枯渇してしまえば、私たちはもはや、自由の大切さを認めることができないであろう。
(p.258)

サブカルチャーについて多く論じられており、60年代後半の自由論を『あしたのジョー』から、90年代の自由論を『エヴァンゲリオン』から論じた部分が特に面白かった。

近年の社会学では、自由と平等を対置し、グローバルで自由な経済活動が平等を破壊した、というような議論が多くなされているので、改めて「自由」という概念について考えることの重要性を何となく感じた。

しかし気になったのは、著者は「空想的自由主義」が本当に現代でも可能かどうかということを、しっかりと論じていないと思う。外国文学では、ハックスリーの『すばらしい新世界』や、ザミャーチンの『われら』のように、ユートピアの不可能性や絶望を書いたものもあるので、ディストピアの対比で捉える姿勢があるとよいと思った。