苅谷剛彦・菅山真次・石田浩編『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』

学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程

学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程

戦後〜70年代における新規中卒者の就職斡旋の制度がどのように形成されてきたかという話。

中学校と職業安定所が新規学卒者と企業の間に立ち、「心身ともに未熟な年少者」であると考えられた新規学卒者のために、徹底したスケジュール管理、科学的なテストに基づいた適職紹介、1人1社主義に基づく選抜、就職後の定着指導などの様々な取り組みを行っていた。また、全国需給調整会議という、労働力需給の地域間の隔たりを制度的に調整する仕組みがあり、高度経済成長下での都市における急激な求人増加に対応することができた。

こうした仕組みの存在のために、新規中卒者たちは自らの適職について教員たちと話し合い、卒業生の就職実績などを参考にしてゆく中で、自らがどのような企業にふさわしいかを自己選抜し、職業アスピレーションをコントロールしてゆく。こうして、高度経済成長下の売り手市場であるにもかかわらず、一人あたりの紹介件数は減少するという逆説的な現象も起きた。また、そこでは学校と職安によって個々の企業にマッチングが行われてゆく仕組みは不可視である。それゆえ、戦後民主主義の理念として始まった「職業選択の自由」は形骸化してしまっていたと見なすことができる。

しかし、そうした個人の職業選択の自由と、制度による市場への介入という2つの犠牲の代わりに、日本における戦後新規中卒者の就職は、他国と比べて圧倒的に間断のない移行や低い離職率が達成されていた。また、制度によるマッチングは、個人の縁故による職業選択よりもその利用機会が開かれており、出身階層間の不平等を是正する機能も持っていた。

この新規中卒者の就職斡旋のメカニズムは、90年代頃までの高卒就職のそれを考える上でも示唆に富んでいる。高卒就職においては、職業安定所が介入する余地はほとんどなくなったが、学校と企業が持続的な「実績関係」を作り出し、生徒の自己選抜を促して、1人1社主義の選抜を行っていることは同様であった。