ドストエーフスキイ『カラマーゾフの兄弟』(2)

第2巻。
物語で最も有名な「大審問官」の章が出てくるのもこの巻。

大学1年次に読んだ時は、24歳のイヴァンがこんな壮大な叙事詩を思いつけるはずがないじゃないか、とか思っていた。けれど今読んでみると、青年独特の荒っぽさみたいなのが読み取れて面白かった。

また、それに続く「ゾシマ長老の生涯」の章は、好きで何度も読み返していたところだが、改めて面白いと感じさせられた。
「大審問官」で展開される無神論に対置されるような形で告白される長老の話は、キリスト者でなくても考えさせられるところが多い。特に、過去に殺人を犯したことがある男が、若かりし頃の長老と交流を経ることで感化されて、人々の前で自白をする話がある。ここなんかは、現代社会における赦しと包摂の問題にダイレクトに結びついているなあ、とか思った。


それから、主人公兄弟の長男・ドミートリイの存在の重要性に気づいた。
ドストエーフスキイの作品は、特に五大長編で、人物の性格の対応が多く見られると言われている。

例えば、
アレクセイ→ムイシュキン(『白痴』)
イヴァン→ラスコーリニコフ(『罪と罰』)、スタヴローギン(『悪霊』)
フョードル→ヴェルシーロフ(『未成年』)
ゾシマ長老→マカール老人(『未成年』)
など。

しかし、ドミートリイだけは他の小説にその人格の類型が見られない。
しかも、その性格は喜怒哀楽の変化に富んでいて、泥臭く感じられる。言いかえれば、ドストエーフスキイの小説の登場人物にしては珍しく「現実にいそう」な人。

この存在によって『カラマーゾフの兄弟』は大きく引き立てられていると思う。