吉見俊哉『ポスト戦後社会』

ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書)

ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書)

戦後から現在までの日本社会の変化を「戦後社会」と70年代後半からの「ポスト戦後社会」という図式で記述した本。

「冷戦」と「ポスト冷戦」、「福祉国家」と「新自由主義」、「高度経済成長」と「グローバリゼーション」など、様々な対比が出てくる。
必ずしも現実はその図式にはまらないわけであるが、「ポスト戦後社会」というのはある種の理念型であるらしく、個々の現象が全部はまらなくてもよいと著者は考えているらしい。


とりあえず感想としては、大学入試は地理受験だったので、日本史の勉強になった。

しかし、特異な事件をある時代全体を代表するものとして安易に使うのはどうなのだろう。

 60年代の永山則夫の犯罪と、宮崎勤酒鬼薔薇聖斗の犯罪を隔てるのは、前者では、実体としても、フィクションとしても、家族はあからさまに拒否されていたのに対し、後者では、実体は崩壊していても、フィクションとしての家族はむしろ過剰になっている点にある。このフィクションを、宮崎の場合は祖父が、酒鬼薔薇聖斗の場合は祖母が支えていた。犯罪は、祖父や祖母の死によってフィクションすらも不可能になったときに生じるのだが、そうしたことが起こらなければ、若者たちはそのまま家族内で自己を閉塞させ続けた可能性も高い。
 そのような社会が大量に生み出していったのは、暴力に走る若者よりも、むしろ自己の殻のなかに閉じこもっていく若者たちである。1980年代以降、学校では、それまでの校内暴力がやや沈静化に向かう反面、不登校やひきこもりが劇的に増えていった。(pp.110-111)

何で、「犯罪はフィクションすらも不可能になったときに生じる」んだろう。