マーチン・トロウ『高学歴社会の大学―エリートからマスへ』

高学歴社会の大学―エリートからマスへ (1976年) (UP選書)

高学歴社会の大学―エリートからマスへ (1976年) (UP選書)

教育社会学では非常に有名な、トロウの高等教育の発展過程について。

今までちゃんと読んだことはなかったのだが、その理論がちゃんと理解されず、エリート→マス→ユニバーサルという形式だけが引用されていることが多いのではないかと思った。

著者によれば、高等教育は該当年齢人口の在学率が15%までのエリート段階、15〜50%のマス段階、50%以上のユニバーサル段階というように推移し、それぞれは教育課程、目的観、選抜原理、運営形態などの様々な面で質的に異なる。さらに、それぞれの移行過程では大学内部あるいは大学と社会の間で緊張や葛藤が経験される。1960年後半に先進産業国で共通に見られた学生運動を、高等教育の大衆化という観点から著者は描き出しているが、本書の原著論文が書かれた70年代前半にすでにそれを読み取っていたのは慧眼だと思う。

ただし、著者が何度か言明しているように、この発展過程はあくまで理念型(ideal type)であり、特定の国の高等教育について完全にあてはまるものではない。

さらに著者が強調しているのは、マス段階に以降したからといって、エリート的な側面が全く消え去るわけではない。米国が大学の学部段階は拡大させてきても、大学院でエリート的な機能を保持してきたように、それぞれの段階は並存・共存しうる。この観点から、著者はエリート高等教育の保持の可能性とその必要性について述べている。

あと面白いと思ったのは、エリート高等教育では、学生の社会化・動機付けが異なるという指摘。進学率が上昇することで、すなわちマス段階に移行してゆくことで、意欲の低い学生、不本意に就学した学生が増加してくる。こうした入り口での変化だけではなく、社会化や動機付けの形式も変化するという点はなるほどと思わされた。

 学生と教師の緊密で個人的な関係を通じて行われる人間形成が、エリート高等教育と不可分に結びついていることは、これ以上論ずる必要はないだろうが、ここで私は、エリート高等教育の中核的な特性として、それが野心をかきたて奨励する役割をはたす点を強調しておきたい。エリート高等教育機関はすでに野心を抱いた学生を集め、かれらの野心をさらに育み、めざすべき目標をはっきりさせる。
(p.137)

さまざまな有利な条件がたがいに補強しあって作り出すこうしたネットワークのなかで、もうひとつ重要なのは、その学問分野の第一流の学者と関係をもち、かれらのお墨付きをもらうことから生まれる強い自信である。なぜならこの自信は学問的野心をかきたて、視野をひろげる重要な要素となるからである。
(p.138)


副題にもあるように、本書に掲載されている論文は、エリートからマスへの移行過程に重きが置かれている。なので、第三のユニバーサル段階については、著者の他の論文を読まないとなと思った。また、ユニバーサル段階に達した高等教育はもはや変化することはないのか(ユニバーサル以後)はないのか、ということについて、著者がどのように考えているのかを知りたい。