Collins, Randall. 1997. "An Asian Route to Capitalism: Religious Economy and the Origins of Self-Transforming Growth in Japan." American Sociological Review 62: 843-65.
Collinsは日本の歴史に関する論文まで書いているんですか(驚愕)。Weberのモデルを定式化しなおし、中世~初期近代の日本における資本主義の発生・発達について論じられています。
Weberの『プロ倫』における中心的な主張のひとつは、近代資本主義は西洋においてのみ発生することができたというものです。他の国々、例えば中国などでは、巨大な産業や富裕層は存在していたとしても、生活や経営を合理化しようとする資本主義の「精神」が欠けていたために、近代資本主義は発達しえなかったという説明がなされます。
Collinsはこの議論を疑います。まず、経済構造を3つの主要なタイプに分類しています。(1)血縁組織における交換を基本とする社会、(2)軍事力を有する特権階級が土地を支配している社会、(3)資本主義市場経済、です。Collinsはさらに、(3)を、次のように分類します。(3a)土地が支配されている社会において、一部の先駆的な部門が革新的な動きを生み出す。(3b)資本主義市場の構造が広がり、農業生産が活力を与えられる。(3c)産業革命によって機械での生産が可能になり、非農業部門での生産が拡大する。
Collinsの主張は、日本における資本主義の誕生は決して西洋の模倣ではなく、中世~初期近代において、(2)から(3a)の移行、および(3a)から(3b)への移行が起きていたというものです。Collinsが特に注目をするのは、Weberと同様に宗教です。中国から日本に輸入された仏教は、寺社を中心として経済を作り出したということが論じられます。そして、(3a)から(3b)への移行が起きたのが、江戸時代であるとされています。
技術革新が起きなかったために、江戸時代の日本は資本主義とは言えないという批判に対しては、大規模な生産技術は資本主義の中心要素ではないとCollinsは反論します。Weber自身も産業技術は、生産の合理化の帰結であり、因果の連鎖の中で後続するものであると論じているとのことです。あくまで、Weberの言う合理化は、利潤の拡大に向けて計算や投資を行うという、経済倫理の適用であるためです。