地下鉄サリン事件から17年

明日で、1995年に起きた地下鉄サリン事件から17年になる。


今年は閏年の関係で春分の日が21日になっているが、あの年も今年と同じように春分の日が火曜日だった。事件が起きたのは、日曜日と春分の日の谷間の月曜日である。
村上春樹は『アンダーグラウンド』の中で、「今日一日を出勤すればまた休みという、気だるい日の朝」というような感じの表現をしていたと思う。


年末の平田信の出頭で一時的に報道が盛り返した感はあるけれども、趨勢的に見れば人々の意識から事件のことは薄れてきているように思われる。しかし未だにサリンの後遺症に苦しんだり、PTSDで地下鉄に乗れない被害者が少なからずいるという話を聞く。


識者の中には、あの事件が日本社会の一つの転機になったという者もいる。
共謀罪に関する法案が国会を通りそうになったり、犯罪、特に動機が不可解なそれに対する厳罰化の感情が高まったりと、それまでであればおそらくはあり得なかったであろう方向に、人々の感情が向くようになったというものだ。


民主党に政権が代わってから、死刑制度の存廃が議論され始めるようになったが、その際にもこの事件のことは振り返られなければならない。
確かに、先進国のほとんどがすでに死刑の廃止または執行停止をしている。また、死刑には冤罪などの非常に大きな問題があり、存廃の議論は大いに必要である。
しかし、仮に死刑制度を廃止した場合、地下鉄サリン事件のような無差別なテロ行為に対しても、最高で終身刑しか与えられないことになるということも考えなければならない。

昨年にノルウェーで起きたテロの後、個人的な憎しみは抱きつつも、なおノルウェーの人々は法律として国家が行う死刑には反対していると聞く。しかし、今の日本社会は果たしてそこまで寛容でいられるのかどうか。


オウム事件が投げかけたものは、結局まだ何も終わっていないということに気づく。
有名大学を卒業したエリートたちが、なぜ麻原彰晃の説く「救済」を信奉し、サリンを製造・散布してしまったのか。
こうした人々を再び生み出さないためには、教育や社会はどうあればよいのか。多くの人々はおそらく答えることができない。


また近年、刑事事件の冤罪判決が増えてきているが、マスメディアはそれまで容疑者をあたかも刑が決まった犯罪者として報道してきたことについて、ほとんど反省をしていない。これを見るにつけ、報道被害の問題も松本サリン事件の河野義行さんの時から何も進歩していないのではないかと思わざるを得ない。