社会学者の労働研究に対するブレイヴァマンの批判


私がここで言いたいことは、だれかが二次資料を用いるとまちがいをおかすかもしれないとか、話の筋道がとおらなくなるかもしれないとか、あるいはズクをみたことがないのではないかとか、そういうことではない。問題点は、社会学者たちが、ほとんど例外なしに、直接的な知識をぜんぜんもたなくても職業、労働、技能等について書いてかまわないと考えているということである。その結果は、自分が批評している小説、演劇、詩歌をぜんぜん読まないで、もっぱら読者のうちから「科学的に抽出されたサンプル」を対象にしてなされたアンケートへの回答を基礎にして自分の説をつくりあげる一群の文芸批評家――もしそのような者がいるとすれば――から得られるものに等しい。

――H.ブレイヴァマン(富沢賢治訳)『労働と独占資本』,p.120

 ダニエル・ベルが言及している労働者の最適作業量について、ブレイヴァマンが批判している箇所です。テイラーの科学的管理の思想の広まりを分析している章の中での副次的な記述ですが、徒弟から入り、7年間も銅工として働いていたブレイヴァマンによる言葉の重みが感じられます。