コールマンによるデュルケームの捉え方についてのメモ

 先輩から質問をいただいた関係で、ちょっとだけ調べたことをメモ書きしておきます。コールマンが『社会理論の基礎』において、デュルケームに言及している箇所はいくつかあるのですが(ちなみに邦訳だと索引が不十分)、特に「第10章 効果的な規範に対する需要」における記述が重要であるように思われます。 

 社会科学における他の概念と同様に、規範は社会システムの特性であって、そのなかの行為者の特性ではない。この概念は、社会科学者たちが展開している理論のなかで、かなり幅広い役割を担うようになっているが、それには根底的な理由がある。規範という概念は、マクロ水準に位置しながらミクロ水準の個人行動を支配するものなので、所与の社会システムにおける個人行動を説明するための便利な道具となるのである。エミール・デュルケムを代表とし、ソローキン(Sorokin 1928)が社会主義学派とみなしている学派に属する社会学者たちにとって、この道具はとくに有用であった。デュルケムは社会組織論に着手した際に、その著書のなかで、「個人の行動は、その人が身をおいている社会システムからどのような影響を受けるのか」という問いを立てている。この問いに答えるためには、第1章で概説した社会理論の三要素をすべて考察する必要はなく、ただ一つの要素――マクロからミクロへの移行――の考察だけが求められる。デュルケムを含む多くの社会理論家たちにとって、規範という概念は、この移行の一つの手段となったのである。

[『社会理論の基礎』(上),久慈利武監訳,p.372]

  デュルケームにとって、規範を含めた「社会的事実」は、個人を超えたものであり、かつ個人を「もののように」外在的に拘束するものです。コールマンはマクロ→ミクロの関係を考察する上で、デュルケームのこうした立場は、自身のモデルにおいても採用可能と捉えているように見えます。

 なお、合理的選択理論の中には、規範という概念自体が不要と考える人々もいます。しかし、コールマンにとっては規範は、人々の行為を説明する上で重要なものであり、かつ存在することを自明視してはならないものだったようです。