Link and Phelan(2001)「スティグマを概念化する」

 

Link, Bruce G. and Jo C. Phelan. 2001. "Conceptualizing Stigma." Annual Review of Sociology 27: 363-85.

 

  • 授業の準備に。来年度は自分の専門からやや外れる授業を持つ必要があるのですが、この論文のフレームワークに従いつつ、関連する概念や事例を押さえていけば何とかなりそうな気がしてきました。
  • スティグマステレオタイプ化など社会心理学の分野での蓄積も多いものの、本論文は社会学のレビューということで、マクロレベルの特性や構造的な不平等の分析にどのようにつなげていくかという点が強調されています。

 

 

  • スティグマの概念は定義があまりに曖昧であることと、個人レベルで分析されてきたことが批判されてきた
  • スティグマを以下の要素の同時生起として定義:(1)人々が差異をラベリングする、(2)支配的な文化的信念によって、ラベル化された人々と望ましくない特性、すなわちネガティヴなステレオタイプが結びつけられる、(3)ラベル化された人々は区別されたカテゴリーに置かれ、「彼ら/彼女ら」から「われわれ」を一定の形で分離される、(4)ラベル化された人々は不平等な結果にいたるような地位の喪失と差別を経験する、(5)スティグマが生じているかどうかは、社秋的・経済的・政治的権力へのアクセスにもっぱら依存する;これらの権力は差異の同定、ステレオタイプの構築、ラベル化された人々の区別されたカテゴリーへの分離、そして非難、否定、排除、差別などを引き起こすことを可能にするものである
  • スティグマ化された状況とスティグマ化のプロセスは人々の生活の様々な領域に影響しうるため、所得、居住、犯罪、健康、生活それ自体などの様々なライフチャンスの分布に大きな影響を持つ

 

 

Evans et al.(2018)多元的な社会的アイデンティティーの交差点に位置する健康の不平等をモデル化するためのマルチレベル・アプローチ

 

Evans, Clare R. et al. 2018. "A Multilevel Approach to Modeling Health Inequalities at the Intersection of Multiple Social Identities." Social Science and Medicine 203: 64-73.

 

  • 階層ベイズモデルに以前から関心がありつつも、具体的に自分で適用してみたい事例がなかなか思いつかなかったのですが、このフレームワークはなかなか面白そうだと思いました。

 

  • 健康の不平等を複数の社会的アイデンティティの交差システムとして捉える
  • アメリカの成人サンプルにおけるBMIを従属変数とする
  • ジェンダー(2カテゴリー)、人種・エスニシティ(3カテゴリー)、学歴(4カテゴリー)、収入(4カテゴリー)、年齢(4カテゴリー)の組み合わせからなる2*3*4*4*4*=384の「交差階層」(intersectional strata)をモデルに含める
  • 従来的な固定効果モデルによって交差性を捉えようとすると、多くの交互作用を推定することになる
  • これに対して、個人が交差階層にネストされているとみなすマルチレベルモデルを採用する
  • (1)マルチレベルモデルではサンプルサイズが小さい層のランダム効果は、より全体平均の値に引きつけられ、安定した推定値が得られやすい、(2)従属変数の全体の分散を個人レベルの分散と層レベルの分散に分割することで、それぞれの交差階層間・階層内の異質性を数量的に表すことができる
  • MCMCによるベイズ推定を行う
  • マルチレベルモデルでは固定効果モデルにくらべて安定した推定値が得られた
  • マルチレベルモデルを使用した際に、ヌルモデルと主効果を投入したモデルによって、層レベルの分散がどの程度縮減したかを表すことができる;これは、主効果を投入した上でも説明されない層レベルの分散(交互作用に起因しうるもの)がどの程度あるかを示す
  • マルチレベルモデルを用いた場合にも、関数形の仮定や、層内ではそれぞれの観察がi.i.d.に従う仮定などが必要になる

Lynch and Bartlett(2019)「社会学におけるベイズ統計――過去・現在・未来」

 

Lynch, Scott M. and Bryce Bartlett. 2019. "Bayesian Statistics in Sociology: Past, Present, and Future." Annual Review of Sociology 45: 47-68.

 

  • 過去40年間において、ベイズ統計を用いた論文の比率が社会科学分野ごとに示されているのですが、社会学でそれほど増えていないのはイメージ通りですが、政治学でもあまり増えていないのは意外でした。
  • ベイズ統計を明示的には用いていなくとも、BICのようにベイズ統計の理論に従った分析を慣習的に用いている場合もあるし、ネストされていないモデルを比較することが社会学の実証分析で重要な位置を占めていることに注意が向けられています。
  • 偽陽性(false positives)が問題となるのは、古典的な統計学における帰無仮説アプローチに著者たちは原因を求めており、これもベイズ的なアプローチによりよい解決が見られています。

山岸(1992)「マイクロ・マクロ社会心理学の一つの方向」

 

山岸俊男,1992,「マイクロ・マクロ社会心理学の一つの方向」『実験社会心理学研究』32(2): 106-14.

 

  • 授業のネタ探しのために、Mertonの理論について調べていたところ、この論文にあたりました。
  • マイクロ―マクロのつながりを考慮する必要があるのは、社会現象における個人レベルでの意識や行動を超えた創発特性(emergent property)が生まれるプロセスの重要性を認識する場合であるとし、この論文が書かれた当時の社会心理学では、そうした創発特性に関心を払わない立場が主流であるとしています。
  • 実際のところ本論文は社会心理学のジャーナルに掲載された論文ですが、Durkheim、Blau、Merton、Collins、Boudon、Colemanなどが引用されており、異色ですあるがゆえに社会学的には非常に興味深いです。
  • 創発特性が生まれる重要なプロセスの一つとして、「行為の相互依存性による意図せざる結果」に議論が絞られています。
  • Hardinの「共有地の悲劇」に関する議論を挙げ、「意図せざる結果」は必ずしも「予期されざる結果」を意味しないという指摘はなるほどと思いました。ゲーム理論における様々なタイプのナッシュ均衡に関しても言えるのかもしれません。
  • 合理的選択理論は、個々人の行動の説明については限界の大きい理論であるものの、マイクロ・マクロ過程分析のためには、非常に有効であるという評価がなされており、これはこの前読んだ論文でも同じようなことが書かれていました。
  • 本論文は理論的な議論が多く、学部生向けの授業の課題文献には使えなさそうですが、山岸先生が高校生向けに書いた新書の中でたしか出てきたいじめの話などは、本論文で言うところのマイクロ・マクロ過程分析のわかりやすい事例として、使えるかもと思いました。

Swift(2003)「機会を捉える――社会的非移動に対する選好とアスピレーションの影響」

 

Swift, Adam. 2003. "Seizing the Opportunity: The Influence of Preferences and Aspirations on Social Immobility." New Economy 10(4): 208-12.

 

  • 同じ著者の論文を、前にも1本まとめました。神島先生の政治哲学の本でも、本論文の著者の議論が紹介されていました。
  • 実証研究に従事していると、規範的な問いは直接的に議論しないし、前提に無自覚であることも多いので、こういう論文を読むのは楽しいです(すぐに何かに役立つというわけではないのですが)。
  • メリトクラシーを議論する上で、仕事と、それにともなう報酬を区別するというのは、なるほどと思いました。移動研究でよく議論されるOED連関でいうと、Dの中身を区別するということになりますね。

 

 

  • 政治哲学者は、道徳的な望ましさと政治的な実現可能性を注意深く区別すべきである;政治家は自らの選挙環境を一定程度は所与のものとして受け入れてその中で最善をつくす必要があるものの、そうした環境は変化するし、政治家がその変化に影響を与えることもできる
  • 労働党の新しい政策に関わった人々は、政策を選挙環境にあわせて調整するだけではなく、行動原則までも誤って変えてしまった;その例の1つが、機会の平等に関する不十分な理解に基づいたメリトクラシーの理念である
  • メリトクラシーとは、Michael Youngによってもともとつくられた用語であり、ユートピアではなくディストピアを表現するためのものであった;メリトクラティックな社会は、その成員に対して社会的公正を保障することは確実にないと言える
  • ある社会がメリトクラティックであるかどうかの問い方の1つは、仕事とそれに従事する人々が適合しているかである;人々は縁故や階級的背景ではなく、能力に基づいて仕事を得ているか(これは教育制度に関して問うことも可能であり、つまりトップの大学はメリットに基づいて選抜を行っているかという問いにもなりうる)
  • メリトクラシーについてもう1つの観点は、仕事の配分原理ではなく、資源と報酬の分配原理を問うことである;メリトクラシーの支持者は、報酬がメリットを反映すべきであると主張する;ここで「メリット」とは、能力とコミットメントの何らかの組み合わせとして理解される(Youngは「IQ」+「努力」として定義した)
  • こうした2つの解釈を混ぜ合わせることは一般的である;すなわち、メリトクラティックな社会とは、効率的であるとともに公正であるとされる
  • これは政治的に便利で魅力的なパッケージである
  • しかしどのような意味において、より能力のある人々はより報酬を受け取るに値するのだろうか
  • 2人の子どもがいる親を想像してみよう;片方の子どもは並外れて才能があり、もう片方の子どもは学習に困難を抱えている;この2人の子どもが生涯にわたって劇的に異なる資源を分配されるときに、社会はこれを公正とみなすべきなのか
  • 私は、誰がどのような仕事を得るべきかという意味でのメリトクラシーには賛同するし、社会的背景にかかわらず能力を発達させることの重要性にも賛同する―というのも、これはより生産的なことであり、能力の高い人々によって行われることで、その生産物から誰もが利益を得るからである
  • しかし、そのことは能力に応じて生産物を分配されるべきということにはならない;公正な社会、生産物をかなり異なった形で分配するだろう
  • メリトクラティックな機会の平等は、効率的な生産手段としてはきわめて価値があるものの、分配の指針とはならない
  • 社会的公正は、親の社会的地位とその子どもの社会的地位が無関連であることを要求するという考えは魅力的であるかもしれない;これは社会学者が「完全移動」と呼ぶものである
  • 機会の平等の支持者は、相続税を増加させることや、私立学校の廃止、あるいは異なった社会的背景を持つ子どもの混ざった学校をつくるためにバスを走らせることには、根本的な道徳的問題を感じないだろう
  • しかし、裕福な親の子どもが裕福となるのには、別の理由もあると考えられる:文化、性格、アスピレーションの伝達である
  • 私立学校を喜んで廃止しようとする人々は、子どもが寝る前の本の読み聞かせを制限することには、それほど熱心にはならないだろう;それは仮に、私立学校に通うよりも本の読み聞かせが子どもに対してより強い影響を与えるとしてもである
  • 家族間の正当な相互作用は、不平等な結果を生み出す傾向にある;しかし、食卓での会話を通じて子どもの成長を促すことの自由を否定するような社会は、仮にそれがより機会の平等をもたらすとしても、公正な社会とは言えないだろう
  • 大部分の人々は、さらなる子どもの利益のために親が行動することは、他の子どもにくらべた比較優位を追求することであるとしても、正当であると考えるだろう;もしこれが正しいのならば、そうした行為は尊重するように義務づけられるだろうし、比較優位を伝達することを促進するような制度も許容しなければならないだろう
  • これは私が共有する見方ではないものの、「家族の価値観」に対する非常に異なった理解は、依然として世代を通じた有利さの伝達を許容することになる
  • 移動研究は出自が異なった人々の「機会」の分配について議論するものの、通常は「結果」に関する情報しか得られない;しかし、統計的確率という意味での可能性(chance)は、機会(opportunity)という意味での可能性とは異なる;社会的公正の観点から重要となるのは、機会としての可能性であり、そこでは機会セットが重要となる
  • 社会的非移動を起こすメカニズムとして、選択と選好の役割は過小評価されている;選好がどこから来るのかや、選好が信念と資源と結びついてどのように選択を生み出すのかを、より理解する必要がある

 

「ゆきラーメン 山手」(数ヶ月ぶり???回目)

 

  • 本郷の山手が閉店すると聞いたので、行ってきました。
  • お店の移り変わりが激しい本郷通りですが、ラーメン屋は安定しているイメージがありました。なので驚きであるとともに、一時期は頻繁に通った身としては残念です。
  • そういえば、鰹醤油ラーメンはなくなったのでした。ということで、焦がしねぎラーメンをチョイス。味玉・麺かため・脂少なめにて。

 

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  • 久々でしたが、変わらず安定感のあるスープでした。2月まで閉店を延期するということなので、もう1回は行きたいところです。

Matthews(2000)「コウノトリが赤ん坊を連れてくる(p=0.008)」

 

Matthews, Robert. 2000. "Storks Deliver Babies (p = 0.008)." Teaching Statistics 22(2): 36-8.

 

  • 授業のネタ用に読みました。GoertzとMahoneyの本でも指摘されていましたが、明らかに何かがおかしいのにすぐには交絡要因が思いつかないというのが、この例のポイントなわけですね。

 

  • 統計学の入門書は、相関と因果の混同について決まって注意を促すが、その時に引用される例(子どもの靴のサイズと読解力など)は、現実のデータに基づいていないことが多く、また交絡要因が明らかなことも多い
  • コウノトリが赤ん坊を連れてくるという伝承に関して、実際に検証した
  • 1980年~90年のヨーロッパ17ヶ国のデータを使用する
  • 出生率を(1,000人/年)を、コウノトリの数(つがい数)に回帰させると、相関係数は0.62であり、p値は0.008であった
  • 帰無仮説が正しいとすれば、これだけ極端な結果が得られるのは、125回に1回という割合である
  • もちろん、観察された相関の妥当な説明は交絡要因によるものであり、たとえば土地の広さがその1つになるだろう
  • コウノトリと出生数の関係は統計学の入門書に出てくる多くの例とは異なり、すぐには説明できないものの、因果的に無意味な例である
  • このばかばかしさは、相関/因果の誤謬に関する教育的価値のみならず、p値の厳密な意味や、帰無仮説の棄却が実質的な仮説の正確さとはならないことに、注意を促してくれる