広田照幸『教育には何ができないか―教育神話の解体と再生の試み』


教育には何ができないか―教育神話の解体と再生の試み

教育には何ができないか―教育神話の解体と再生の試み

教育には何が可能で、何が可能でないか。その限界の線引きをしっかりと定めようではないか、という本。突き詰めれば内容はたったそれだけに集約される。

もう少し詳しく言えば、筆者の次のような文に表される。

現代は裏返しの「教育万能主義」あるいは「教育万能神話」とでも呼ぶべきものが議論の根底に存在している、ということを意味している。本章で私が強調したい点の1つはこれである。すべては教育(の失敗)によって生み出される。それゆえ、すべての問題は教育(の成功)によって解決しうる、という発想である。(pp.217-218)

例えば、親がしつけをしっかりすれば青少年の凶悪犯罪がゼロになるというわけではないし、学校が頑張れば、子どもの「心の闇」を解決できるわけでもない、ということ。

「人、金、時間」といった様々な規定条件が教育にはあるのに、そんなことを考えずに、次々と「あるべき教育」について語る政治家や自称教育評論家への苛立ちを表したような、そんな本だ。

本書で重要なのは、教育の限界を引いたとしても、それはあくまで恣意的なものでしか有り得ず、絶えざる批判と実践の中で変えられてゆかなければならない、という点だ。

このようなリベラルな立場の教育論はもっと増えてゆくべきだと思うが、「あるべき教育」の像を提示することができないのが、影響力を持ちにくい点。