アンソニー・ギデンズ『親密性の変容―近代社会におけるセクシュアリティ・愛情・エロティシズム』

親密性の変容―近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム

親密性の変容―近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム

1 日々の実験、関係性、セクシュアリティ
2 フーコーセクシュアリティ
3 ロマンティック・ラブ等の愛着
4 愛情、自己投入、純粋な関係性
5 愛情やセックス等に対する嗜癖
6 共依存社会学的意味
7 心の迷い、性の悩み
8 純粋な関係性のかかえる諸矛盾
9 セクシュアリティ・抑圧・文明
10民主制としての親密な関係性

ロマンティック・ラブという理想の広まりは、夫婦を親族関係から解放し、夫婦のきずなに特別な要因をもたらすようになった。一方で、ロマンティック・ラブは男女のセクシュアリティに二元的道徳規範を与え、また女性を家庭に押し込める家父長制と結びついてきた。

今日、さらなる近代化が進むにつれ、また近代的避妊法の発達により、生殖とセクシュアリティの分化の度合いは非常に高いものとなっている。この「自由に塑型できるセクシュアリティ」は、社会的な特性ではなく、パーソナリティ特性として形成されていくため、男性による支配からセクシュアリティを解放させていった。その結果として、「純粋な関係性」という人々の新たな関わりを出現させた。

純粋な関係性とは、性的にも感情的にも対等な関係が実現できる可能性と強く関わっている。

純粋な関係性とは、社会関係を結ぶというそれだけの目的のために、つまり、互いに相手との結びつきを保つことから得られるもののために社会関係を結び、さらに互いに相手との結びつきを続けたいと思う十分な満足感を互いの関係が生み出していると見なす限りにおいて関係を続けていく、そうした状況を指している。
(p.90)

また、純粋な関係性は、再帰的に獲得されてゆく過程である。

今日の関係性は、かつての婚姻関係がそうであったように、ある極端な状況を除けば、関係の持続が当然視できる「おのずと生じていく状態」ではない。純粋な関係性の示す特徴のひとつは、いつの時点においてもいずれか一方のほぼ思うままに関係を終わらすことができる点にある。
(p.204)

こうした点を踏まえるならば、多くの先進産業社会において広く離婚が見られるようになったことについては理解しやすい。

離婚率が他の先進諸国と比べてそれほど多くなく、婚外子の数が異様に少ないというような特徴がある日本において、本書の議論をそのまま当てはめられるかどうかは留保が必要である。しかし、男性性の危機による暴力の話とか、親子関係の民主化の話を読むと、本書の観点が重要であると感じさせられる。

あと感じた点としては、著者は純粋な関係性を近代の諸制度を根本的に崩壊させ、公的領域における民主化させも進める可能性があるものとして捉えている。しかし、例えば多くの国で若者の経済的自立が困難になっている状況で、本当に純粋な関係性というのは可能なのだろうかというような疑問もわいてくる。