Rosenbaum (2001) Beyond College for All: Career Paths for the Forgotten Half

Rosenbaum, James E. 2001. Beyond College for All: Career Paths for the Forgotten Half. New York: Russell Sage Foundation.

 

 James Rosenbaumの90年代の論文の知見をまとめて、理論的・政策的な示唆が論じられている本です。先日に引き受けた論文の査読を行う上で、関連するかもしれないと思って、手に取りました(結局、その査読コメントには反映させなかったのですが)。
 若年者のトランジションを論じる上での、ネットワークと情報の重要性がかなり強調されています。これだけならば、Granovetterがすでに70,80年代に明らかにしていたことですが、本書はさらにその上を行こうとしている感じですね。
 11章の"Theoletical Implications: Using Institutional Linkages to Signal and Enhance Youth's Capabilities"から、少しまとめてみましょう。すでに個別の論文を読んで知っていたことも多いものの、強い紐帯の強み、Colemanの社会関係資本とリンケージモデルの関連、リンケージが差別を減らす可能性、人的資本とシグナルの関係といった点は、本章を読んで新たに学びました。

 

  • アメリカの労働市場政策は、以下の5つのような仮定に基づいている。(1)もし雇用主が生徒の学力スキルについての情報を必要としているならば、学校に対してそれを提供するにように要請するはずである。(2)もし雇用主が面接にもとづいて採用するならば、それは面接によって適切な生徒を選別できるという自信を持っているからである。(3)雇用主は、一般的な市場プロセスによって、適切な情報を得ることができる。(4)生徒はどのように仕事を得ればよいのかを知っており、それゆえ応募の際に手助けは必要としていない。(5)生徒は労働市場のインセンティヴを理解しており、学校おける努力の欠如は、意欲が低いことを示している。
  • これら5つの常識に基づく仮定は、しばしば間違っている。第一に、雇用主はしばしば労働者の学力スキルに対する不満を述べるにもかかわらず、学校から利用可能な情報を使っていないのである。第二に、雇用主は面接に頼るかもしれないが、その採用方法に自信を持っているからではない。その他すべてのものに対して、より大きな不信を持っているためである。第三に、労働市場政策は雇用主がより多くの情報を欲しているようにみなしているが、実際にはよりよい情報が必要とされているのである。雇用主に対する面接の結果は、研究者は雇用主が信頼できる情報を得ることの困難さを過小評価していることを示している。(4)若年者は、しばしばどのようにして仕事を獲得すればよいのかを知らない。労働市場政策は、見えざる手がこのプロセスに対処すると見なしている。雇用サービスも、学校におけるカウンセラーも、若年者の仕事探しを手助けしていない。(5)学校における努力を行わない生徒は、意欲が欠如しているわけではない。教師は生徒に対して、学校が将来のキャリアに関係していることを伝えるが、生徒はこれらのメッセージを虫のいい、信用できないものとして無視してしまっている。学校における努力は、内的な動機づけのみによって決まるのではなく、学校が将来にどのように関係するかという認識によっても決まっている。
  • 新古典派経済学は、競争がより効率性をもたらすと主張する。仕事の数と応募者を増やすことが、マッチングを改善するというものである。リンケージは特定の学校に有利さを与え、応募者(または仕事)の数を制限し、競争を制限し、効率性を損なうものだと見なされる。
  • しかしながら、新古典派経済学理論は、適切な情報が利用可能であると仮定している。雇用主に対する調査の結果では、広告によってより多くの応募者がもたらされるものの、その中から選別することは難しく、しばしば好ましくない結果に至ることが述べられている。
  • リンケージは雇用主と生徒がよりよい意思決定を行う手助けを行うことで、効率性を改善する。雇用主は特定の学校とのリンケージによって、採用を行う上での信頼できる情報がもたらされる。そして、このプロセスは雇用主が自らの判断によって面接を行うよりもはるかによいことが述べられている。
  • 皮肉にも、応募者の絶対数を減らすことによって、リンケージは雇用主が考慮できる応募者の比率を増やす可能性がある。これは、通常は見出すことが困難であるような、望ましい性質に関わる新たな情報を、リンケージがもたらすためである。
  • シグナリングのモデルは、情報にはコストがあり、このコストによって雇用主は意思決定を行う上ための、適切な量の情報を得られないと主張する。調査の結果から明らかになったことは、雇用主は潜在的に価値のある情報を、無関係あるいは信用ならないものとして、無視してしまっているということである。単に情報を増やすだけでは、それが利用されることは保証されないのである。
  • ネットワーク理論は、弱い紐帯が強い紐帯よりも優れていることを主張する。それは、弱い紐帯がより多くの求人に関する情報をもたらすからだという。この理論では、強い紐帯は求職者がすでに知っているものと類似した情報しかもたらさないとされる。
  • 弱い紐帯は求人の機会を拡げる上では優れているかもしれないが、「取引を成立させる」(clinch the deal)ためには十分ではない。雇用主は採用を決める前に、信頼できる情報を欲する。そのためには強い紐帯が必要なのである。
  • 雇用主が不信を乗り越え、若年者を評価する上での有用な情報を得ることを説明するモデルが必要である。このモデルは、雇用主が応募者について、通常は信頼しないような他の団体からの情報を、どのようにして信頼するようになるのかを記述しなければならない。
  • Colemanは、社会関係資本が個人の価値を高めることを論じた。社会関係資本は3つの形態が区別される。(1)情報の経路、(2)規範的な制裁、(3)義務の感覚である。Colemanは社会関係資本の形態を様々な例によって示したが、多くは閉鎖的な民族的な共同体におけるものである。しかしColemanのモデルは、社会関係資本が新たな関係を創出することで、促進される可能性へと拡張することができる。
  • リンケージは、異なる制度の間における、継続的にかつ優先的に行われる取引であり、ある制度間におけるキャリア移行を可能にするものとして定義される。Colemanの例においては民族的なつながりから自動的に文脈が生まれるとされているのとは異なり、リンケージは新たに作り出されるものであり、またしばしば情報の質を高めるために意図的に作り出されるものである。リンケージは、情報の経路、規範的な制裁、互酬性という社会関係資本を生み出す上での前提条件をもたらす文脈を作り出すことによって、情報の性質を変化させる。
  • 弱い紐帯は、出席率や成績についての客観的な情報は伝えることができるものの、働くことに対するレディネスや忍耐強さなどの測定が困難な属性については伝えることができない
  • 雇用サービスを改善し、より多くの情報を提供できるようにすることが、改革案として主張されてきた。しかしながら、雇用サービスは人々が仕事を得る手助けをする上で、あまり成功していない。雇用主はほとんどの情報を信頼しておらず、また応募者は仕事に関する情報を信頼していないので、もっとも包括的なコンピュータ化されたシステムでさえ、役に立たないのである。さらに、第三者による橋渡しは互酬性を妨げる可能性がある。強い紐帯の間に、雇用サービスのスタッフが仲介する役割を担うことで、情報の信頼性が低下してしまうかもしれないのである。
  • リンケージは地位の高い個人を手助けするだけではなく、もしリンケージがない場合には価値あるシグナルを欠いてしまうような、地位の低い個人を手助けもする。MeyerとRowanは、伝統的なエリート学校における「特権」(charters)を描いたが、新しく設立された非エリート学校においてもリンケージは見出される。
  • リンケージは、えこひいきと差別を促すようにも見える。しかし、実際にはある形態の差別を減らすことができるのである。シグナリングのモデルは、統計的差別の世界を描く。雇用主は生産性を推測する上で、容易に入手可能な情報を用いるとされる。
  • 統計的差別と偏見(prejudice)の区別は重要である。黒人の雇用主が、公営住宅に住む黒人の若年者を雇いたくないと思うことがあるのは、人種的な偏見ではなく、統計的差別によるものである。すなわち、公営住宅に住む人々は問題行動が多いという認識に基づくものである。この認識は間違っているかもしれないが、もし正しい場合には、雇用主の態度を変えることによって、採用行動を変えることはできない。
  • しかし、統計的差別に基づく行動は、よりよい情報によって変えることができる。偏見によって引き起こされる採用に対しては、雇用主の態度を変えるような政策を実施する他はない。しかし、統計的差別の場合には、より生産性を予測し、偏見の選抜基準をもたらすような、政策が可能である。
  • 人的資本は学校と訓練プログラムにおいて通常、焦点になるものであるが、シグナルもまた重要である。若年労働市場に問題は部分的には人的資本の不足によって起こるものの、リンケージのモデルは情報の不確実性がまた原因である可能性を示している。もし生徒の人的資本が改善したとしても、雇用主がそれを検知できないのであれば、何の利益も生まれないだろう。もし生徒の人的資本がまったく変わらないとしても、雇用主が得ることが困難であり、採用に関連するような信頼可能な情報がもたらされるのならば、生徒の雇用見込みは改善するだろう。
  • 訓練プログラムの評価研究の中には、訓練後の収入への効果がないか、あるいはマイナスであることを示すものがある。ありうる解釈としては、これらのプログラムはよい訓練を提供しているものの、負のシグナルを伝達してしまっているというものである。これらのプログラムは職歴に困難を抱えた人々のみに参加を認めているため、雇用主が採用をする上でのスティグマとなってしまっているのである。
  • 多くの訓練プログラムは参加者にスティグマを与えているものの、デトロイトにおけるFocus/Hopeという低所得の黒人に対するプログラムは、シグナリングの問題を明確にしている。Focus/Hopeでは、参加者すべてが高卒学歴(またはGED)を持っていることや、ドラッグの問題がないことを保証することで、当初のスティグマを打ち消している。さらに、参加者にはほぼ完璧な参加を求め、よい労働の習慣と優秀なスキルを卒業前に身につけさせることによって、このプログラムは卒業生が高い基準に達しており、よい労働者になることを保証している。結果として、Focus/Hopeは自動車産業において、高所得で高スキルの労働者を提供することができるようになった。
  • 政策立案者は、単に人的資本を形成することよりも、それをどのようにシグナルとして伝えるのかに、より力を向けるべきである。そのためには、よりよいシグナルを用いることと、採用に関連し、信頼可能な情報が伝わるような、社会的文脈を作り出すことが必要である。

 

 日本の高卒労働市場の変貌と、大卒労働市場の今後のあり方を考える上でも、Rosenbaumの研究はもう一度評価されるべきなのですが、現状は不十分であるように思われますね。特に、どのようにして信頼可能な情報を保証するのかという論点が、軽視されているように感じられます。単に人的資本を促進するだけでは駄目で、それが雇用主にシグナルとして伝わらなければならないという主張は重要です。
 関連して、ドイツの徒弟制についても、7章で注意が促されています。しばしばドイツの徒弟制は、21世紀における学校と雇用主の関係についての理想的なモデルとされるものの、訓練という面ばかりが注目されていると指摘されています。それだけではなく、ドイツの徒弟制の長所は、学校と雇用主の双方に対して規範を作り出し、雇用主は学校から優秀な生徒を採用しようとし、学校もまた雇用主に優秀な生徒を送ろうという責任感をもたらしていることにあるとされています。