McDonald (2013) "Societal Foundations for Explaining Fertility: Gender Equity"

 

McDonald, Peter. 2013. "Societal Foundations for Explaining Fertility: Gender Equity." Demographic Research 28: 981-94.

 

 McDonald(2000a)では、ジェンダー公正(equity)とジェンダー平等の違いが議論されており、 ジェンダー公正こそが適用されるべき適切な概念であると述べられている。ジェンダー平等とはわかりやすい概念である。それは男女の教育、雇用、賃金、参加、健康などの領域におけるアウトカムを比較することで単純に測ることができる。ジェンダー平等の概念を用いるならば、オランダは母親のパートタイム就業の比率が高く、男性はフルタイムで働くという点において、ジェンダー平等ではない。出生率が比較的高いオランダやイギリス、オーストラリアのような国において、幼児がいる母親にとってはパートタイム就業はきわめて一般的であり、他方でこれは父親には一般的ではない。平等な就業時間によって定義されるジェンダー不平等は、これらの場合においてはきわめて低い出生率をもたらしていはいない。

 ジェンダー公正は、男女がアウトカムの差異を公正であるか、あるいは著しく不公正ではないと見なしており、またそこにはアウトカムの平等よりもむしろ機会の平等がある限りにおいて、男女のアウトカムの差異があることを許容する。そのためこの概念はより捉えづらく、そのために問題のある概念である。ジェンダー公正とは、アウトカムの厳密な平等についてのものではなく、公正と機会の感覚についてのものなのである。出生に関して言えば、公正の概念はカップルの双方がアウトカムを公正であると感じている限りにおいて、相対的な育児役割が決定されることを許容する。それぞれのカップルが何を公正と考えるかは、カップルや文脈によっても異なるだろう。このばらつきのために、公正の感覚は文化―制度的な文脈によって条件付けられると、ジェンダー公正の概念は批判されてきており、これは的を射ている。実際のところ、これは公正と出生のジェンダー理論において本質的な要素である。というのは、出生の意思決定は単一文化的なものではなく、文化によって異なるものである。しかしながらこの理論は、(すべてではなく)多くの女性が現存する文化―制度的なジェンダー文脈をもはや公正ではないと感じた際に、低い出生率がもたらされると主張する。これらの女性のパートナーもその意思決定を支持するかもしれない。カップルの、とりわけ女性による制度的文脈への反応こそが重要なのである。

 この理論によれば不公正さの感覚は、教育や市場における雇用などの個人志向の制度が、女性に対する新しい機会を開くために生じるものである。しかしながら、もしこれらの新しい機会が、女性が母親になった場合に支援されないのであれば(家族志向の制度のために)、多くの女性はそうでなければ産んでいたはずの子供の数を減らすであろう。

[pp. 982-3]

 

Soomloom アブホイール

 

 

 鈍った体に活を入れるために購入しました。家で仰向けになって腹筋運動するのはあまり楽しくないし、鍛える上でも効率もよくないらしいので、器具を利用してみることにしました。もっと高価なものかと思っていましたが、これは1,000円強とお手頃でした。

 ジムに通っていた頃も、腹筋が筋肉痛になることはあまりなかったのですが、これはかなりキツいですね。腹筋だけではなく、肩も痛いです。膝をつくかどうかや、どこまで体を伸ばすかなどで負荷を調整できるようなので、少しずつ慣らしていきたいと思います。

 

Becker (1985) "Human Capital, Effort, and the Sexual Division of Labor"

Becker, Gary S. 1985. "Human Capital, Effort, and the Sexual Division of Labor." Journal of Labor Economics 3: S33-58. 

 

 やはり経済学的な合理的選択モデルに典型的なように、現状で成立している均衡を出発点として、人々の何らかの合理的な振る舞いによって現象を説明するという特徴が現れていると思いました。ただし、その均衡は先進国で出生率の回復が起きる前の時代背景に基づいていることは、一つ注意したいところです。 

 

  • 特定の人的資本に投資することによる強みは世帯の成員間における明確な分業を促進するものの、それ自体がひとりでに性別分業を説明するわけではない。私は著書の中で、男女は子どもの生産のみならず、育児やおそらく他の活動における貢献に対しても、本質的に異なった比較優位を持つことを示唆した(Becker 1981, pp. 21-25)。そのような生産力における本質的な差異は、活動ごとの性別分業の方向性を決め、またそれによって本質的な差異を強化するような特殊的人的資本の蓄積を起こすかもしれない。
  • 比較優位における本質的な差異が性別分業の重要な原因であるという仮定には、批判も見られた。これらの批判は、むしろ性別分業はもっぱら女性に対する「搾取」によるものであると主張する。しかしながら、本質的優位に基づく性別分業は、搾取が存在することを否定しない。もし男性が分業の決定と、女性に与えられる「生存」量以上の世帯のアウトプットを取り分とすること(競争的な結婚市場であればアウトプットをより平等に分割するであろう)の両者について、完全な権力を有しているとすれば、男性は効率的な分業を課すだろう。というのも、それによって世帯のアウトプットは最大化され、またそのことによって自身の「取り分」も最大化されるためである。とりわけ、女性が育児に対して比較優位を持っている場合に限り、男性は女性にそうした活動を課すであろう。
  • この主張は示唆的であるものの、比較優位の性別による差異が女性に対する搾取と独立であると仮定しているために、結論めいたものではない。搾取された(そして貧しい)人々における非効用の貨幣価値は小さい傾向にあることや、あるいは搾取された人々はその土台を壊す活動への参加を許されていないというだけの理由によって、搾取された女性は不快な活動に対する「優位」を持つのかもしれない。
  • この論文における分析には(そして私の家族についての著書においても)決定的な判断は必要ではない。というのも、差別であれ他の要因であれ、この分析は女性の家庭内の活動における比較優位の起源に依存しないためである。必要なのは、特定の人的資本への投資は、比較優位の効果を強化するということのみである。実際のところ、この分析には初期時点における男女の比較優位の差異が大きいということさえ必要ではない。初期時点におけるわずかな差異が、特定の投資における強化によって、観察される大きな差異へと変換されるのである。

 [pp. S41-42]

 

ルクエでほうれん草のごま和え

 

 こちら

 

 ルクエのスチーマーを買ったのは6年前ですが、初めてほうれん草の調理に使いました。なぜか、ほうれん草は鍋で茹でなければいけないという固定観念に囚われていたようです。

石井隆之『前置詞完全マスタートレーニング1000題』

 

前置詞完全マスタートレーニング1000題

前置詞完全マスタートレーニング1000題

 

 

 200問目まで解きました。

 同じセクションの中でも難易度にばらつきがあり(まえがきによると、初級問題2割・中級問題5割・上級問題3割)、難しい問題は本当に難しいです。

 TOEICで500点~900点、英検で2級~1級向けと書かれています。しかし、自分が3年前に英検1級を取った時にくらべて、たぶん英語の総合的な力では上がっていると思うのですが、それでも正答率は6~7割でした。

 というか、「前置詞完全マスター」をタイトルに掲げていものの、必ずしも前置詞に関する知識を問うものばかりではありません。たとえば、95問目は、「虫垂炎」(appendicitis)という単語を穴埋めさせる問題でした。それはそれで勉強にはなりましたが。

Esping-Andersen (2015) "Welfare Regimes and Social Stratification"

Esping-Andersen, Gøsta. 2015. "Welfare Regimes and Social Stratification." Journal of European Social Policy 25: 124-34. 

  序文をおおざっぱに訳してみました。

 Esping-Andersenはオーソドックスな社会階層研究者ではないので、そのアプローチも面白いというか、特に制度の役割について踏み込む姿勢は勉強になります。また、『三つの世界』では統計的な検証はプリミティヴなものに感じられましたが、この論文ではSobel(1982)のデルタ法による間接効果の漸近的信頼区間の推定に関する研究が引用されているなどして、結構驚きました。 

 

  25周年を迎えた私の『三つの世界』を、Journal of European Social Policy誌がその特別号において再訪するという計画を告げられたことは、私のこれまでの人生においてもっとも名誉な瞬間であった。しかしその後、高揚感はパニックにとって代わられた――どのような意義ある貢献が私に果たせるのだろうか? 25年間の変化を踏まえて、私のレジーム分類を再検証する? 私に向けられた多くの批判に対して反論する? そのような選択肢はまったく退屈なものだと思っていたところ、ある日光明を見出すことになった――これは私がこれまでいかなる面でも真剣に扱うことのなかった、ある大きな問題に取り組むためのすばらしい機会であると。
 『三つの世界』には、大まかにいって2つの目的があった。第一に、福祉国家の多様性の背後にある原因を特定することであった。第二に、この多様性が人々のライフチャンスの質に対して、何らかの大きな影響を持っているかどうかを特定することであった。異なる福祉国家モデルが雇用に対して持つ効果を検証し、それらは質的に異なる「ポスト工業的」階層化シナリオにおける産婆役であると、私は(8章の終わりにおいて)主張した。振り返ると、私が何とか整理した関連データの不足を考えれば、これらの主張はかなり壮大なものに思える。そのため、Journal of European Social Policy誌のこの号が私に与えてくれた他にない機会を利用し、階層化の問題を再訪したい。
 福祉国家が階層化に与える影響を突き止めるためには、通時的(福祉国家の成立前後)および国家間の比較のデザインを明らかに採用すべきである。続く分析においては、社会政策を通じて平等を促進しようという意図的な努力をより行っているために、スカンディナヴィアに焦点化する(ただし比較の観点を用いて)。さらに階層化の次元は一つに、すなわち社会階級の世代間伝達に絞る。
 結論を先取りするならば、社会民主主義レジームは機会構造を効果的に平等化している一方で、保守あるいはリベラルモデルにおいてはそうではないという、説得力のある証拠がたしかに見出される。興味深いことに、これはほとんど例外なく、「ボトムアップ」の達成であった。すなわち、労働者階級の子どもにおける上昇移動のチャンスを促進する一方で、特権的な階級に与えられた有利さにはほとんど影響が及んでいなかった。主要な推進力としては、スカンディナヴィアにおける平等の達成は、他の平等の目的を追求した政策、すなわち教育システムの一応の民主化および女性の解放によって、もっぱらもたらされたものである。
 歴史的に言えば、福祉改革は平等の名の下に決まって着手されてきたものの、福祉国家の主要な目的は社会保護と所得維持にあり、階級構造を作り変えることではない。20世紀の終わりの数十年になってはじめて、機会構造の平等化のための政策への変化を見ることができる。それは一方では教育改革と子どもの貧困を削減する取り組みによるものであり、また一方では女性の雇用とさらなるジェンダー平等を促進することを狙った政策によるものである。そしてこうした変化は疑う余地なく、他のどこよりも社会民主主義レジームにおいて、はるかに強力なものであった。
 福祉国家が階層化のプロセスに与える因果的な影響を特定しようとする試みはいかなるものであれ、潜在的な内生性のために、ことのほか困難である。『三つの世界』において詳細に論じたように、肩を並べ合う私の3つの福祉レジームは、異なるタイプの階級交差連合によってもたらされたものである。社会階層の異なるパターンは歴史的に、異なる福祉国家構想の産婆役であった。たとえばスカンディナヴィアの事例では、強固な社会民主主義、その固有の福祉モデル、その平等主義的な推進力が、すべて共通の歴史的遺産の共同生産物だということがありうる。すなわち真なる説明は、社会民主主義のルールと「国民の家」政策モデルの両方に対して有利に働く条件の中に埋もれているということである。

Hernán et al. (2004) "A Structural Approach to Selection Bias"

Hernán, Miguel, Sonia Hernández-Díaz, and James M. Robins. 2004. "A Structural Approach to Selection Bias." Epidemiology 15: 615-25.

 

 非巡回有向グラフを用いて、様々な選択バイアスを分類している論文です。Robinsをはじめとして、疫学者の論文をしばしば読んではきているのですが、語彙に馴染みがないので、だいたいいつも苦労します。

 交絡(confounding)と選択バイアス(selection bias)を区別しているのが、この論文の特徴の一つです。前者は処置変数と結果変数に共通する原因によって引き起こされるもので、後者は処置変数と結果変数の共通の結果になっている変数を条件づけることで、引き起こされるものです。この論文では明示的に用いられていませんが、Pearlの語彙に従えば、前者はバックドア・パスを適切にブロックしないことによって起こるバイアスであり、後者は合流点変数(collider variable)を条件付けることで起きるバイアスと言えるでしょう。

 後半では時系列データにおいて、交絡と選択バイアスが問題になるケースと、その解決方法としての、処置変数の逆確率による重み付けの話が展開されています。

 

逆確率による重み付けは、これらすべての状況において、選択バイアスを適切に調整する。というのも、このアプローチは共変量 Lの条件付き効果の測定に基づいているのではなく、それぞれの個体における曝露と共変量 Lの値によって重みづけ直した後の、非条件付き効果の測定に基づいているためである。

[p. 621]

  逆確率による重み付けの欠点の一つは、すべての(何らかの処置を受ける、あるいは打ち切りの履歴についての)条件付き確率は、ゼロであってはならないというものである。

[p. 621]