赤川学『子どもが減って何が悪いか!』

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)

子どもは、少子化対策男女共同参画の道具ではない。まして「子どもを産んだら得をする」とか「子どもに老後の世話を頼みたい」とか、親のあさましい動機で産まれてくるべきでもない。仮に子どもがどんな重度の障害をもって産まれてきたとしても、愛情をもって育てる覚悟をもてた男女だけが、子どもを産めばよいのだ。そうした選択の結果、産まれる子どもの数が少なくなったとしても、それはそれで仕方ないことだ。
(p.217)

本書で主張されるのは、男女共同参画が進めば出生率が上がるということは全くなく、子育て支援少子化に寄与する影響は極めて小さいか、あるいは逆効果であるということ。しかしながら、男女共同参画は、選択の自由・性の自由という観点から進められるべきものだということ。また、少子化が問題とされるのは経済成長の鈍化と年金の世代間不公平をもたらすためであるが、低成長や年金負担の増大という痛みをどのように分かち合うべきかを議論すべきだということ。

既存の男女共同参画少子化に関する研究が徹底的に批判される部分は、目から鱗だった。例えば、子育て支援支出と出生率の国際比較の散布図は単純に読み取ってはいけないのだとか。


本書を読み終えて腑に落ちなかった部分は、一つは国際的な出生率の差は結局何によるのかということ。子育て支援にほとんど効果がないということは、晩婚化・非婚化だけでほとんど全ての分散を説明できるのか。だとすれば出生率の回復傾向が見られる国があるのはなぜか。
また、著者は子育て支援が正当化されるのは、子どもの人権・児童福祉という観点からのみだと言うが、子どもを公共財として捉える視点(私的利益に対して社会的利益はどの程度あるか)には十分に反論しきっていないので、そのあたりの研究が知りたい。

後は、選択の自由をどの程度重視するかによって、「子どもが減って何が悪いか!」という姿勢への賛同も変わってくる。
たぶん、著者の主張に完全に説得されないのは、何が善であるかは共同体が決定すると選択の自由に留保をつけるコミュニタリアニズムの発想に若干引っ張られるせい。