天野郁夫『試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会』

試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会 (平凡社ライブラリー)

試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会 (平凡社ライブラリー)

欧米のほとんどの国が入学試験の制度をもたないことから、試験をめぐる病理現象は、あたかもわが国だけに独自なものであるかのように考えられがちになる。
 しかし、たとえばミシェル・フーコーが『監獄の誕生』のなかで鋭く指摘しているように、試験は近代産業社会を成りたたせ、その発展を可能にしてきた主要な社会制度のひとつである。世界的に「産業社会の病理」が問題にされるいま、産業社会を支えてきた試験の制度だけが、それから自由でありうるはずがない。実際に試験の問題をつぶさにみていけば、西も東も、北も南も、体制や文化、経済の発展水準の違いをこえて、すべての産業社会で試験が教育や社会の、さらには政治の重要な問題になりつつあることがわかる。違っているのは問題としての深刻さの度合であり、問題のあらわれるところとかたちであるにすぎないのである。
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入学者選抜方法の多様化は、入学試験による学力評価以外の多様な評価手段の導入の形で進行しているが、それは「個人性」の記録のさらなる精緻化をもたらしつつある。クラブ活動やボランティア活動の点数化は、その象徴といってよい。明治期のあの「人物考査」を思わせるものが、そこにはある。「たえず見られているという事態、つねに見られる可能性があるという事態」が、「個人を服従強制の状態に保つ」という、試験のまさにフーコー的な世界が、学校の内部により大きな広がりを持ち始めているのである。
[補論 381]


これは解消しておきたかった積み本の一つ。

日本おいて試験が制度化されたルーツを探るという社会史の著作。しかし、その内容は試験の内容、実施方法や人々の受容の仕方のみならず、明治初期の学校体系に大きく紙幅が割かれている。初中等教育における教師・カリキュラムの発達が不十分な中、西洋に追いつくための高度な高等教育を実施するためには、試験による質の確保が不可欠であった。中学校から大学へをつなぐ専門学校の担った役割の大きさが明らかにされている。

本書が東京大学出版会から出たのは1983年。「受験地獄」が言われた時代からすると、「産業社会の病理」と言われても少しピンと来ないところはある。しかし、あまりにも入学試験のかたちが多様化した現在でも、明治時代の試験のルーツは示唆が多いように思われる。
なぜなら、人材を選抜し配分しなければならないのはいつどの時代の社会においても変わらないし、どのような試験を実施しようとも、単に点数を取ることにのみ躍起になり、本来の教育目的から外れてしまうという弊害が必ず出てくるのだから。