イェスタ・エスピン-アンデルセン『ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学』

ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学

ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学

福祉国家レジームの三類型を1990年に唱えたエスピン-アンデルセンが、批判に答えつつ、ポスト工業経済における福祉レジームを論じた著作。

福祉資本主義の三つの世界』に比べ、家族という変数が大きく重視されるようになったのが特徴の一つ。 保守主義レジームにおいては、家族が福祉の担い手としての役割を主に引き受けるものと見なされている。さらに、家族はジェンダーとの関係で重要であり、
「脱家族化は,社会政策(または市場)が女性に『商品化』のための自律性,あるいは,まずなによりも独立世帯を築き上げるための自律性を与えられるかどうかの度合いを示すためのものである。」 [87]
福祉の責任を家族に負わせることは,経済的自立とキャリアを求める女性の立場とは両立しない。」[244]


また、「三つの世界」論への誤解についても注意を促している。

 議論を先に進める前に,起こりうる誤解を避けるために明確にしておきたい点が一つある。類型化を行ううえでのベースとして私がここで(これまでと同様)問題にしているのは,福祉レジームであって,福祉国家でも個々の社会政策でもない。「レジーム」というのは,福祉の生産が国家と市場と家庭の間に振り分けられる,その仕方のことである。誤解のいくつかは,「レジーム」という言葉があらゆる種類の現象に使われることから生じる。
[115-6]


レジームが3つより多くあるのではないかという批判についても慎重である。

 要約すれば,日本が,オーストラリアや南ヨーロッパと同様,福祉レジームの単純な3分類に収まりきらない特徴を示していることは,紛れもない事実である。だが,われわれは,第四,第五,あるいは第六のレジームを新たに加えることによって,いったい何が得られるかを問い直してみることも必要であろう。おそらくより詳細な厳密性,より豊かなニュアンス,より高度な正確性は得られるだろう。だが,もしわれわれが,分析の手間を省くことに価値を置くとしたら,日本もオセアニアも,新たなレジームを加える正当な理由にはならないだろう。
[137]


後半で展開されるのは、ポスト工業経済下における「雇用と平等のディレンマ」。福祉国家を再点検し、国家が労働市場と家族の機能を育成することによって、福祉を拡充することの必要性が議論される。

必要なのは福祉国家をさらに推し進めるか交代させるかではなく,大規模な再点検を行うことである。目標を設定し直すこと,若い家族,そして,とくに彼らのサービス受容に向けて重点を移すことである。ベヴァリッジモーラー(Moller)その他が福祉国家の青写真に込めた理想に立ち戻るために取るべき,総和がプラスとなるような戦略とは,市場の能力と家族の能力を国家が育成し,それによって福祉を極大化することである。
[232]


一つ疑問に思ったのは、レジーム論は福祉国家の動態的な現象を経験的に捉えれるのかどうかということ。分析に用いられているのは、ほとんどOECDやLuxembourg Income Studyのクロス・セクションデータなので、例えばフィンランドで80年代に失業率が大きく上がったことを、十分に説明できているのかどうかがよく分からない。