竹内洋,2017,「日本型選抜の狡知と帰趨――『日本のメリトクラシー』増補版刊行にあたって」『UP』532: 1-5.
増補版には補論がくわえられた。原著刊行1年前(1994年)に発表した論文「学歴社会論再考――伝統的アプローチと制度論的アプローチ」(北海道社会学会『現代社会学研究』7号)にいくらかの修正・加筆をほどこして、補章「学歴社会をめぐる伝統的アプローチと制度論的アプローチ」として収録した。この論文は、原著刊行当時、収録を迷って結局とりやめたといういわくがあったから、補論として収録できるよい機会となった。この論文も初出から20年以上経過しているが、社会学の分野の制度論的アプローチについては制度派経済学と比べて紹介されることが少ないので、社会学的制度論の概要を近代社会の学歴社会化という具体例の説明によって知ることで、読者にいくらかは裨益するところがあるのではないかと思っている。
[p.1]
しかし、本書が扱っている近代のメリトクラシーの完成が過去の選抜文化の成熟形であるように、その崩壊も近代のメリトクラシーが孕んでいた矛盾の顕在化である面も大きい。生きる力やコミュニケーション能力、創造性などと新しい装いをまとって次々にあらわれるポスト近代型能力観も社会の人材需要の変化だけではなく、御破算型選抜規範の過激なあらわれとみられなくもない。近年の反知性主義やポピュリズム、反エリート主義なども、メリット(能力)をめぐる定義闘争(身分→学歴→真の能力)の段階からメリトクラシーとメリトクラート(エリート)そのものを転覆の対象にしはじめた最終戦の始まりとみることもできると……。
[p.5]
これは増補版も買って勉強したいですね。
以下、『日本のメリトクラシー』についての若干の自分用のメモです(最近読み返していないので間違った記述があるかもしれません)。ちなみに学部の頃に一度記事を書いていましたが、今読むと目を覆いたくなります。
本書はキャリア移動と選抜システムの構造に焦点を当て、ローゼンバウムが論じた「トーナメント移動」に対比させる形で、日本型の競争をリターンマッチがありうる「御破算型選抜」として論じたことが特徴です。アメリカ社会における理論をそのまま当てはめるのではなく、日本社会の現実を説明する理論を志向している点は素晴らしいと思います。
ただし、キャリア移動の分析の対象になっているのが、ある大手企業の内部昇進の構造であることが気になります。企業内移動を見る限りでは、たしかにリターンマッチが可能な選抜システムと言えるかもしれません。しかし、本書の分析の枠外に置かれている企業間移動も含めて見た場合には、むしろ山岸俊男先生がおっしゃられるように「セカンドチャンスのない社会」という面が大いにあるように思います。一企業内の事例を、日本社会全体に広げすぎているということはあるかもしれません。