Campbell, John L. 2002. "Ideas, Politics, and Public Policy." Annual Review of Sociology 28: 21-38.
約1年前に研究会で読んだ文献です。
要旨
- 自己利害ではなく、アイディアによってもたらされた行為による政策のアウトカムの規定に関してレビューする。さまざまなタイプのアイディア(認知的パラダイム、世界観、規範、フレーム、政策プログラム)が区別され、この分野の研究に伴う困難が描き出される。とりわけ、先行研究はアイディアがどのように政策決定のアウトカムにつながるかという因果メカニズムを特定できていない。今後の研究への示唆としては、自らのアイディアによって政策決定に影響をもたらそうとするアクターの特定化や、アクターが影響をもたらせる度合いに関する制度的条件の解明や、どのような政策アイディアが議論され、また実践されるかに関する政治的言説の理解などが挙げられる。
アイディアのタイプとそれらが政策決定に与える効果
認知パラダイムと世界観
- 国家の政治文化に関する近年の研究によれば、政策立案者が自明視(taken-for-granted)している世界観によって政策の選択範囲が制限される。
- Esping-Andersen(1999)は、家族がその成員に対して行うべき仕事についての異なる見方が、第二次世界大戦後のヨーロッパで形成された福祉国家プログラムの範囲に影響したと述べる。南ヨーロッパのカトリック諸国では政策立案者は家族が育児を担うことなどを当然と見なしていたので、保育や育休プログラムが供給されることはなかった。これに対してスカンジナビア諸国では、政策立案者はそのように決め込むことはなかった。Esping-Andersenによれば、政策立案者がこのようなパラダイムから抜け出すことができるようになるまでは、21世紀における経済的・社会的・人口学的な課題によりよく対処するための福祉改革が起きるのは困難である。
- こうした研究には2つの問題が立ちはだかる。第一に、どのようにして古いパラダイムが新しいものにとって代わられるのか、どのようにして根本的な政策変化が起きるのかが明らかではない。近年の研究によれば、現在のパラダイムでは明確な解決策がないような異常な政治的・経済的問題に直面したことを政策立案者が急に自覚した際に、パラダイムシフトは起きる。たとえばMcNamara(1998)は、1970年代に政策立案者が新たな経済的不確実性、すなわち持続的なインフレと経済成長の停滞、高失業率に直面したことを示した。これは固定相場制に対する大きな圧力となり、ケインズ主義の崩壊につながった。新たなパラダイムとなるアイディアであるマネタリズムがとって代わったのである。ドイツがマネタリズムを採用して他国にくらべて良好な経済を達成したことは、新たなパラダイムの効用について他国の政策立案者を説得する際に重要であったとMcNamaraは述べる。
- 第二に、制約という言葉がしばしば用いられるものの、どのようにしてパラダイムが政策立案者の選択肢についての認知を制約するのかが、特定できていないことが多い。古いパラダイムがもはや最良の政策指針とはならないという証拠が蓄積しており、かつ様々な政策パラダイムが利用可能な時でさえ、政策立案者が古いパラダイムから抜け出すのがしばしばとても難しいのはなぜなのか。少なくとも2種類の答えが可能である。心理学者はあるアイディアが採用される条件とは、それによって複雑な状況が扱えるようになったり、その後の行為が正当化されるようになったりするような発見的装置(heuristic device)、暗喩、類推が伴っている場合であると述べるかもしれない。社会学者はあるアイディアが採用されるのは、それが効果の薄い政策の原因の所在を明らかにしたり、未来への見通しを与えたり、集団の連帯を作り出したり、政治連合を形成するのを促したりする場合などであると述べる傾向があるかもしれない。
規範的フレームワーク
- 規範的アイディアとは、価値、態度、アイデンティティ、そして他の「集合的に共有された期待」についての自明視されている前提である。これらは政策の議論の背後にも存在し、別の可能性の範囲を狭めることによって政策立案者の行為を制約する。ただし、目的に対する手段としてではなく、受け入れ可能で正当なものとして知覚されることによってである。とりわけ、どの政策オプションがもっともうまく働くかについての決定的な証拠がない場合に、政策立案者は帰結の論理(logic of consequentiality)ではなく、道徳や社会的な適切さの論理によって動く。
- 規範的な差異は、マクロ経済政策、外交政策、安全保障政策の国家間のばらつきを説明するかもしれない。Berman(1998)は20世紀の初期に、ドイツでは社会民主政党が階級交差連合を形成することに抵抗したのに対して、スウェーデンではそうでなかったと述べている。ドイツのマルクス主義者は労働者による純粋な党とブルジョア議会民主主義の革命的な転覆を重視したのに対して、スウェーデンのマルクス主義者はより包括的な政党と社会主義に向けた議会による道筋を重視したためだという。
- 規範的な信念は非常に強力なために、政策立案者の自己利害を無効にすることがあるかもしれない。Skrentny(1996)によれば、アメリカの政策立案者(大部分が白人男性)が、アファーマティヴ・アクションの法制を通過させたのは、冷戦の道徳的な風潮においてマイノリティの持続的な不利さが正当ではないと見なされていた中では、適切なことだったためである。公衆の大部分はマイノリティに対する優遇措置よりも人種中立的な政策を望んでいたにもかかわらず、政策立案者は法制を通過させた。規範的な信念が自己利害を上回ったのである。
- アイデンティティもまた政策決定に影響するかもしれない。アイデンティティとは個人や組織が持つ、他者に対して自分とは何かについての歴史的に構築されたアイディアである。アイデンティの研究は、アクターがどのように自らの政治利害を定義するのかをよりよく理解する手助けとなる限りにおいて、特に重要である。労働組合のアイデンティティは国によって異なり、どの政策を受け入れるか、あるいは拒否するかに影響してきた。スウェーデンの労働組合は歴史的に、中央集権化された連帯的賃金の交渉において、経営者団体と交戦する能力に基づいてきた。これに対して、イタリアの労働組合は生活コストの調整を防ぐという長い歴史を通じて形成されてきた。
- 規範的フレームワークがどのようにして政策決定に影響するかという因果メカニズムは常に明確に特定されてきたわけではない。たとえばSkrentny(1996)は、そもそもなぜアメリカの政策立案者は人種の不平等に関する国際的な認知に非常に敏感であったのかを説明していない。くわえて、これまでの研究は規範の変化が起きる源泉を常に明らかにしてきたわけではない。
世界文化
- 認知パラダイムと規範的フレームワークによって政策の違いを説明しようとする研究がある一方で、それらを共通性の説明に用いる研究もある。社会学者は西洋の政治文化が世界に拡散し、政治制度や政策決定装置を同質化してきたと主張する。世界文化という用語によって、国家を超越する認知パラダイム、規範的フレームワーク、あるいは両方が意味されており、実証研究ではこれらの分析上の違いはしばしば曖昧になっている。たとえば、Meyerらは、地球が脆弱な環境システムであるという事実に注意を向ける国際的な科学的言説の増加によって、国民国家が第二次世界大戦後に環境省を作ったと主張している。こうしたアプローチは国際関係の領域においては、現実主義あるいは自己利害に基づいたこれまでのフレームワークでは理解が困難な政策の説明に用いられている。
- この分野の研究は第一に、エージェンシーやアクターの重要性を無視する傾向にあるという意味において過剰に構造主義であると批判されてきた。世界文化とはどこから来て、誰が作り出すのかがしばしば不明瞭である。第二に、この研究は世界文化の同型的な(isomorphic)効果を描き出すものの、詳細な過程追跡(process-tracing)による事例分析が欠如していることが多いため、因果メカニズムが伴っていない。第三に、世界文化の伝播にどのような葛藤、対立、他国に強制させる強力な国家が存在するのかを見過ごしている。さらに場合によっては、明確にそれらの存在を否定するものもある。最後に、世界文化はその内部に矛盾が満ちており、これが同型化を制約するかもしれない。
フレーム
- アイディアがいかに政策の異質性や共通性を生み出すかではなく、社会運動論の概念に依拠して、政策立案者が政策を受け入れられるものにするために、いかに政策をフレーム化するかを説明しようとする研究もある。自らの政策プログラムが採用されるために、政治エリートは戦略的にフレームを作り上げ、公衆や他の政治エリートに対して政策を正当化するためにそれを用いる。
- この拡張として、再フレーム化が政策の変化を統合的に説明するものとなる。たとえば、1970,80年代のアメリカの福祉政策は、資力調査付きの福祉プログラムは黒人や他のマイノリティへの給付とサービスとなっているものの、これらは労働者階級の白人に対する法外な課税によって賄われているものだとして、再フレーム化する政治家によって主導されてきた。
- この研究には3つの問題がある。第一に、政策が採用されるために適切なフレームが重要であるという議論は、しばしば実証的・反実仮想的な比較が欠如しており、因果に関しては機能主義的に見えることである。この問題を避ける方法の一つとして、単一の政策の議論において異なる政治的立場とそのフレームを比較し、異なるフレームがもっとも支持される政策に影響したかどうかを見ることである。
- 第二に、フレームが構成され、検証され、変換され、また既存の規範的フレームワーク・認知的パラダイムに適合されるプロセスが調べられることがほとんどない。
- 第三に、政策立案者が戦略的に振る舞うのであれば、説得しようとする他者に対して真の動機を隠すためにフレームは用いられるだろう。しかし、政策立案者が自らの主張をフレーム化しているのではなく、真の動機を表明しているのかどうかを実証的に判断するのは困難である。詳細なテキスト分析によって、政策の議論における因果の論理に不整合がないかや、推移性(transitivity)の原理に違反がないかを見ようとする研究が少数ある。これとは別に、政策立案者は自らの利害を隠すことにそれほど注意を払わないかもしれないと指摘する研究もある。
計画的なアイディア(Programmatic Ideas)
- 政策の変化は新たな計画的アイディアに基づいたものかもしれない。これは政治エリートが特定の政治問題をいかに解決するかを具体化するのを促進するような、因果的なアイディアである。認知的パラダイムとは異なり、計画的アイディアとはすでに確立されたパラダイムの原理に沿って、現存する制度や手段をどのように用いるべきかについてのより厳密なガイドラインである。
- 利害に基づいた対立によって、どの政策プログラムが結果的に採用されるかに注目する研究は多いものの、政策プログラムの性格自体の影響に注目する研究は多くない。一部の研究によれば、もっとも成功するプログラムとは、困難で不確実な政治状況において、もっとも明快なロードマップを提供するようなものである。ただし、どのプログラムがもっとも単純で明快かを客観的・実証的に判別するのはもちろん難しい。
- 別の研究によれば、政策立案者がもっとも簡単に政治連合を形成させるような焦点となるプログラムが採用されやすい。共和党は1870年から1930年の間に保護的な貿易政策を追求した。この理由のひとつは、より自由な貿易政策がその成員の大部分の利害にかなったものであったかもしれないにもかかわらず、保護的な貿易政策が対立の絶えない党の連合を維持する手段をもたらしたためである。焦点としてのアイディアの重要性は、政策立案者の間の権力がより平等であり、かつ様々な政策の結果が不確実であるほど増すかもしれない。
因果メカニズムの問題
アクターと認識共同体(Epistemic Communities)
- アイディアが政策決定にいかに影響するかを説明する方法の一つは、注意深い過程追跡によって、特定のアクターがあるアイディアをいかにして政策決定の議論に持ち込み、有効に用いるのかを示すことである。これらのアクターとは多くの場合、自らの専門知識を他者に伝えることのできる学者や知識人である。
- 国際的な水準では、「認識共同体」が新たなアイディアを作り、拡散させる上で重要である。認識共同体とは政治に関連する知識において権威を有し、規範的な信念、因果モデル、実証的な妥当性への見解などを共有する専門家のネットワークである。この研究によって、少数の集権化された覇権的組織と、分権化された組織と個人のネットワークのどちらが世界文化の伝播において重要なのかという議論が喚起されている。
制度的フィルターと埋め込み
- もちろん、アクターは孤立空間にいるわけではない。政策決定に関わる公式の規則や手続きといった制度によってどのアイディアが浸透し、政策として採用されるかは異なる。
- 非公式の経路に注目した研究は多くはないものの、たとえばイギリスにおいて公的な失業保険が成立した理由の一つは、オックスフォード大学のリベラルな社会科学者たちがロンドンの政治エリートたちと同じ集まりで社交し、このアイディアを採用することを促したためである。
- 世界文化に関する研究への別の批判として、制度の伝播とは制度的に媒介されたより複雑なプロセスであるというものがある。新たな政治的アイディアが国際的に伝播する際には、それらはそれぞれの国々に現存する政治制度に適合するように、特有の変換をなされるのである。このために政策の伝播プロセスは、通常主張されているほどは同型化・同質化には至らないのである。
- アイディアは法に埋め込まれ、行政手続きなどに制度化されていることで長期的な効果を政策決定に対してもつとも主張される。制度化されたアイディアは、公共政策の長期の安定性や、経路依存の性質を理解する手助けとなるのである。
- アイディアと制度の関係に関するこれらの考え方がどれほど刺激的であるとしても、批判的な研究者は誤りを指摘する。まず経路依存の議論は次の点において欠点がある。アイディアが規則、手続き、政府機関などに制度化された後に、アイディアとそれが埋め込まれた制度のどちらが将来の政策決定においてより重要なのかがもはや明確ではない。同様にしてアクター中心のアプローチは、アイディアの効果それ自体と、そのアイディアを有したアクターの効果を区別することに失敗している。つまり、アイディアの拡がりは分析的に区別され、実証的に示されているというより、仮定されたものなのである。批判者の中には、アイディアそれ自体がどのように政策決定に影響するかを理解したいならば、政治的言説の特徴に注目するのがより有益だと主張する者もいる。
言説
- 政治的アイディアの伝えられ方や、実践への変換のされ方に対して、政治的言説の構造と言語がいかに影響するかが研究されてきた。とりわけ、既存の言説構造(概念、比喩、言語コード、論理規則など)が認知的・規範的要素を含んでおり、それらによって政策立案者が最良と判断し、採用されるに至るアイディアが媒介されていると主張される。たとえばBlock(1996)によれば、アメリカでは過剰に鮮明な反国家主義的なイメージ、比喩、物語が様々に政治的言説を支えており、そのために国家の経済介入に関する代替的な政治的アプローチを議論することがうまく妨げられているというのである。
- しかしながら、言説がこれらの効果を持つということと、それを実証的に示すのは別のことである。いくつかのアプローチが可能である。第一に、政治的アクターは自らの認知スキームと政治的信念にもっとも適合する解釈を好みやすいということを、実験を通じて示す研究がある。第二に、政策立案者へのインタビューによってその政策選好をマッピングし、あるイベントがどのような結果をもたらすと解釈しているかを調べる研究がある。これらのマップは、仮想のイベント、現実のイベントのどちらの解釈に対しても、よい予測をもたらすことが示されている。そして、分厚い歴史記述と過程追跡による定性的アプローチが存在する。これらの研究は、政治的な文書、議論、歴史の詳細な分析を用いて、政策立案者が自らの規範的・認知的前提にしたがってどのように問題や危機を定義するか、あるいは新たな政治的アイディアがこれまでの前提とどのように混じり合わされるのかを検証する。たとえば、Vogel(1996)は、市場の規制緩和というネオリベラリズムの原理が、それぞれの国において浸透している政治的言説に部分的に影響され、異なる実践に変換されることを示している。
結論
- 異なるタイプのアイディアは、政策決定のそれぞれの段階において、異なる効果を持つということがある程度に共有されている。たとえば、Goldstein(1993)は4つの段階を指摘する。(1)古い政治プログラムが何らかの理由で失敗していると見なされ、正当なものではなくなる段階。(2)政治的アントレプレナーにとって論理的に見え、その規範的フレームワークと認知的パラダイムに適合するようなプログラムが探索される段階。(3)新たなプログラムが特定され、実施・検証される段階。(4)政策立案者が機能すると判断し、法的メカニズムや公式の政府組織の中に制度化される段階。
- これとは別に、政策立案者は新たな政策がその時々の不測の事態(contingencies)に順応する限りにおいて、それを採用するという主張もある。Hall(1989)によれば、新たな経済政策プログラムが受け入れられるためには、同時に3つの条件が満たされなければならない。第一に、目下の経済問題を解決でき、その国の経済構造と辻褄があうように見えるという意味で、経済的に実行可能なもの(viable)でなければならない。第二に、現存する国家の能力の下で実現可能という意味で、行政的に実行可能なものでなければならない。第三に、中心的な利害集団を根本的に脅かすことなく、また逆に政治連合を形成する基盤をもたらすという意味で、政治的に実行可能なものでなければならない。
- 最後に、大部分の研究は利害よりもアイディアが重要であるという古い観念論は拒絶するものの、どのような条件の下で利害よりもアイディアが重要なのかという問いから始めている。しかし、より有意義なのは、どのようにアイディアと利害が相互作用するのかというアプローチである。アイデンティティがいかにしてアクターに影響するか、たとえば労働組合がいかに自らの利害を定義するのかという研究は、この一例である。この他にも、国家を超えた市民運動のネットワークに関する研究は、利害に基づいた合理的行為モデルとアイディアに基づいた社会構成主義モデルがいかに組み合わせられるかを示し、新たな政策プログラムが国際的に拡がるプロセスについて重要な洞察をもたらしている。