Hudik(2019)「合理的選択理論の2つの解釈と行動経済学的批判との関連性」

 

Hudik, Marek. 2019. "Two Interpretations of the Rational Choice Theory and the Relevance of Behavioral Critique." Rationality and Society 31(4): 464-89

 

  • 著者は経済学の先生ですが、社会学における合理的選択理論の位置を考える上でも、非常に勉強になりました。集合レベルの現象を説明することが目的なので、下位レベルの行為の記述は正確なものではなくともよく、目的に叶う範囲で単純化されたものでよいというのは、Arthur Stinchcombeがメカニズムに関する論文で指摘していた点とも関連すると思いました。

 

 

  • 合理的選択理論の2つの解釈を比較する:(1)意思決定理論的解釈(decision-theoretic interpretation: DTI)と、価格理論的解釈(price-theoretic interpretation: PTI)
  • 前者は効用最大化の仮定が意思決定手続きを文字通り表していると受け取り、後者は集合レベル行為の変化・分散を説明する上でのモデリング装置とみなす
  • 合理的選択理論に対する近年の批判として行動経済学によるものがあり、合理的選択理論は非現実的な仮定に根ざしており、そこからの予測は実証的に反駁されると主張されている
  • PTIの下では、合理的選択理論は「合理性」とも「選択」ともほとんど関係がない;むしろ、集合レベルの行為に関する変化やグループ間の差異の説明に重きが置かれる
  • こうした変化や差異のすべては、グループの内在的な特性ではなく制約の影響として説明される;つまり、PTIの核心は人々が根本的に同質的だというものである
  • PTIはもっぱら伝統的にシカゴ学派の経済学者、特にGary Beckerに結び付けられている
  • これに対してDTIは、合理的選択は人々の実際の意思決定ルールであるとみなす;
  • DTIは典型的には数学的な背景を持つ研究者によって採用され、意思決定理論やゲーム理論で用いられている
  • DTIはPTIの特性の一部と組み合わされ、とりわけPTIの行動的基礎として理解されることもある
  • この論文では、行動経済学による合理的選択理論への批判はDTIには直接あてはまるものの、PTIには限定的な意味でしかあてはまらないことを議論する
  • Weyl(2019)は価格理論を「配分の問題に対する解決法として、豊富でかつしばしば不完全に特定されたモデルを『価格』に縮約する分析」と定義し、かつこれを個人の意思決定に焦点をあてる還元主義(reductionism)と実証主義(empiricism)のアプローチと比較している
  • 価格理論と還元主義の区別は、FriedmanによるWalras的な経済理論とMarshall的な経済理論の区別と密接に関連する;Walras的経済理論は説明や予測よりも事実の記述を重視し、還元主義の特徴に関連する;Marshall的概念は説明と予測を強調し、価格理論と対応する
  • 価格理論の関心は集合レベルの現象であるので、PTIにおける合理的個人は実際の行為をモデル化したものではなく、単なる方法論的装置である;こうした観点からは、PTIは合理的選択理論の理念型としての解釈と関連する

 

  • DTIの観点からは、合理的選択とは一連の代替選択肢を所与とした際において、もっとも選好に一致する特定の選択を行うという手続きを指す
  • DTIにおける主要な問いは、合理的選択モデルが実際の選択行為を説明・記述しているかどうかである;この問いに対しては行動経済学者をはじめとして多くの反証が述べられている
  • もしDTIが唯一可能な解釈であるとすれば、規範的な目的を別にすれば合理的選択理論に固執する理由はほとんどないように思われる
  • PTIは個人の選択ではなく、集合的現象に焦点をあてる;この理由は個人の行為は個別のショックによる影響を受けるものの、集合レベルでは消失するとみなせるからである
  • PTIでは行為の集合的な変化や差異は究極的には、「嗜好」(tastes)の違いではなく価格と所得の変化や差異の観点から説明される
  • PTIとDTIの違いとしては、PTIではある選択肢それ自体を説明しようとするわけではなく、異なる選択肢間の差異を説明することが目的である
  • また別の違いとしては、PTIではある個人の選択をモデル化するわけではなく、人工的に構築された個人の集合をモデル化している
  • PTIにおいて特定の行為それ自体の説明が目指されていないのは、個人の選好に関する詳細な情報がなく、それゆえ予算制約線上のどの点が選択されるかは予測できないためである

 

  • PTIによる方法論的装置は、様々な特徴(嗜好、選択手続きなど)と制約の点で異なる多くの個人の行為を単一の最適化モデルによってどのように集合的に表すかという問題に取り組む
  • これに対して還元主義的方法では、それぞれの個人の特徴と、集団におけるそれらの分布を考慮する;もっとも単純な還元主義モデルでは、すべての個人は同質的であり、DTIの意味で合理的であると仮定する
  • PTIにおける中心的な仮定は、非飽和性(non-satiation)である:人々(少なくともいくらかの人々)はより多くの財を望む
  • この仮定により、集合的に表される個人は常に制約線上の点を選択し、どの点を選ぶかは実際の観察によって決定される
  • 通常は人々の選好は凸状であると仮定される
  • 場合によっては、選好をまったくモデル化する必要もない;Becker(1971)は代替効果と所得効果について、効用関数を導入する前に議論している
  • こうしたことを考慮すると、PTIを表す上で無差別曲線を用いるのはいくらか誤解を招くものである;むしろ、PTIのアプローチでは需要・供給の図を用いるのがより容易く、選択自体ではなく変化やばらつきに焦点をあてるという目的にかなっている
  • 多くのミクロ経済学の教科書に描かれる還元主義的アプローチでは、個人が様々な財やサービスの消費レベルを選択し、DTIの意味で合理的であると仮定される;他の条件を等しくした場合に財の価格を変えることによって、個人の需要曲線は導かれる;個人レベルの需要を集合レベルの需要に変換するためには、強い仮定を置かなければならない
  • 還元主義的アプローチに対して、価格理論的アプローチでは集合需要曲線から直接議論をはじめる;価格理論的アプローチにおける需要分析はすべての財の価格ではなく、ある特定の問題に関連する価格のみが考慮される
  • 価格理論的アプローチは、現実の複雑性を縮減しつつ本質的な特徴を保とうとするものであり、PTIにおける合理性とは仮説ではなくモデリング装置なのである
  • 還元主義的アプローチでは、説明と予測のみならず記述的な正確さが目指される;さらに個人レベルと集合レベルの両方の分析が試みられる
  • これに対して、価格理論的アプローチはより実用主義的であり、記述よりも説明、つまりはhowに関する問いよりむしろwhyに関する問いに焦点がある;十分に正確な答えを得るため過不足のない変数から議論するのである

 

  • 行動経済学は、経済学をより現実的に基礎づけることを目指した研究プログラムとして出現した;行動経済学からは、合理的選択理論が無限定の合理性、無限定の意志力、無限定の自己利益を仮定していると批判されている
  • ここでは、行動経済学からの批判はDTIには一部あてはまるものの、PTIにはあてはまらないことを議論する
  • DTIはたしかに無限定の認知能力と意志力を仮定している面があり、行動経済学の批判は正しい
  • しかし、DTIもPTIも無限の自己利益は仮定していない;合理性はいかなる選好とも両立可能なのである;実際のところ、Becker(1998)は様々な動機を効用関数の中に取り入れている
  • 批判を行う人々が合理的選択理論と無限定の自己利益を結びつけるのは、行為を説明する上で選好の中身について何らかの仮定を置かない限り理論として同語反復であると考えているからかもしれない;しかし、これは選好の中身を所与とするPTIにはあてはまらないのである
  • PTIは無限定の合理性も意志力も仮定しない;すでにSamuelson(1963)は、合理的選択理論は特定の心理的仮定にコミットする必要はないことを指摘していた;人間の心は、意図的に「ブラックボックス」とみなされているのである
  • Becker(1998)は特定の状況における様々な認知的制約の重要性を認めているものの、他の制約のほうが集合レベルの行為の説明にはより重要であると考えたのである
  • おそらくもっとも重要なのは、PTIは何が「正しい」選択かを定義しないため、選択における誤りを扱うことができないという点である
  • ある状況において人々が体系的に選択の誤りを犯すことはありうる;重要となるのは、こうした誤りが異なる集団間における集合レベルの行為の差異につながるかどうかである;もしそうした差異がみられるならば、PTIは制約の差異によって説明しようとするであろう
  • 合理的選択理論への批判者が念頭に置いているのは、もっぱらDTIなのである;こうした人々は、合理的選択理論は人々が実際に行う選択をそのまま記述したものと考えている
  • PTIの観点からは、無限定の合理性、無限定の意志力、無限定の自己利益という批判は的外れであるものの、行動経済学からの妥当な疑問も存在する
  • 第一に、行動経済学ではある行為の変化やばらつきは制約の差異によるのではなく、フレーミングの差異にすぎない場合があることが示されている;こうした批判は、価格理論がある選択の定義により注意を払わなければいけない(同じ対象の記述が異なる財を表しているとみなされる場合がある)ことを意味する
  • 第二の課題は、「嗜好」が制約とともに変化する場合があることに由来する;Mullainathan and Shafir(2013)は、選択メカニズムが緩やかな制約と厳しい制約の下で異なることを示している;この事実はたとえば、豊かな人々と貧しい人々の行動の違いは、人的資本・社会関係資本のレベルといった制約の違いのみならず、制約の変化によって誘発される意思決定の変化に起因することを示唆する

 

  • 行動経済学は還元主義的アプローチに根ざしている;Thaler(2015)が述べるように、行動経済学の目的は「人間の行動を正確に表現する記述的経済モデル」の確立である
  • 行動経済学はまた、脳生理学から導出された「正しい」カテゴリーを見つけ出し、経済学の「恣意的な」カテゴリーを置き換えることを目指している;上述したように、価格理論的アプローチにおいては、カテゴリーの有用性はある問題に対して評価される
  • 要約すると、行動経済学とPTIの決定的な違いとは行動に関する仮定にあるわけではなく、むしろ還元主義的な方法を採用するかどうかにある;行動経済学は選択のルールを明示的にモデル化する傾向があるのに対して、価格理論的な合理的選択理論は様々な決定ルールを効用関数に集約するのである
  • PTI的な意味での合理的選択を行動経済学的モデルによって基礎づけることは可能であるかもしれない;その根拠は、行動経済学的モデルは具体的な選択手続きと直接関連しており、より具体的な予測を可能にするものの一般性が低いためである;これに対して価格理論的な合理的選択モデルは特定の選択手続きを明示的に特定しないために、より一般的であるものの具体的な予測を与えないのである
  • たとえば、人々はインセンティヴに反応するという考え方はPTIの下における合理的選択アプローチの顕著な特徴である;しかし、この理論はインセンティヴの具体的な形態については言及しない
  • 合理的選択モデルはある条件の下で、成果報酬は成果の向上につながると予測する;しかし、この成果の向上とは特有の形態を取りうる
  • Fryer et al.(2012)は教師の成果について分析し、教師にボーナスを事前に支払い、もし生徒の成績が向上しない場合にはボーナスを没収するというやり方では、同じ金額のボーナスを生徒の成績が向上した場合に事後適しに支払うやり方にくらべて、より教師の成果が改善することを発見した;この知見は行動経済学者によって発展させられた、損失回避仮説と整合する

 

  • 価格理論的観点からみると、合理的選択モデルと行動経済学的モデルは相互に補完的とみるのがもっとも適切である;しかしながら、行動経済学者たちはDTIを念頭において、自らのアプローチが合理的選択理論に代わるものであると「売り込んで」いるのである
  • こうした点において、行動経済学による革命は、19世紀後半の限界革命と類似性がある
  • 限界効用理論の父の一人であるJevonsは、限界主義を古典的経済学からのラディカルな逸脱として提示した;これに対して、Marshallは限界主義と古典的政治経済学の間の補完性を注意深く示した;そしておそらく、Marshallの戦略は限界主義のより早い受容を可能にした
  • Jevonsにとって思考のラディカル変化に見えたものは、生産と分配の問題から消費と交換に焦点を移行し、また長期の現象から短期の現象へと分析の焦点を移行させることだというのが次第ににわかってきた
  • 同様にして、一部の行動経済学者にとってラディカルな変化として見えているものは、集合的行為の理論から個人の選択手続きへ、あるいは価格理論的モデルから還元主義的モデルへの移行としていずれ理解されるかもしれない
  • しかしながら、還元主義的モデルが価格理論的アプローチを補完するのではなく、むしろ代替すべきかどうかについては明らかではない;様々な数学的発展などによって複雑性をより豊かに表すことができることになる一方で、経済学的な重要性が失われてしまう可能性もある