一色まこと『ピアノの森』(1)~(26)

 

ピアノの森 コミック 全26巻完結セット

ピアノの森 コミック 全26巻完結セット

 

 

 全巻買って一ヶ月くらいかけて読了しました。一言で表すならば、美しいというか心が洗われるような物語でした。
 ショパン・コンクールが始まってからは特に面白く、一気に読み進みました。予備予選、一次予選、二次予選、ファイナルと同じ登場人物が何度も演奏をするので、冗長にならないのかと気になりましたが、まったくそのようなことはなく、むしろ新しい人物にも次々にスポットライトがうまく当てられており、伏線の張り巡らし方も見事でした。
 クラシック音楽という本来は専門知識が必要な分野であるものの、それを前提としなくとも深く入り込めるという点では『ヒカルの碁』と似ていると言えるかもしれません(少年少女の熱い競争が描かれているという点でも)。

ランニング4週間

 

 先月の下旬から毎朝、通勤前に外でランニングをしています。1日中オフィスに籠もって、ほとんど人と喋らずにPCに向かって作業をするのは、なかなかの体力と意志力が必要だとつくづく感じており、弛んだ体と精神に活を入れるために走り始めました。4週間が経ち、平日は7~8km、土日は10kmほどの距離をコンスタントに走るようになりました。
 当初は毎日走るのはさすがに時間を使いすぎなのではないかとも思ったものの、日中を乗り切る体力が増え、また夜の寝付きがよくなったので、結果的により効率的に時間を使えるようになりました。特に博論を書いていた頃から、夜に寝ようと思っても眠れない時期が慢性的に続いていたので、この変化はかなりありがたいものでした(ちなみにですが、あまり悩みのなさそうな後輩が博論を書いている時に眠れなくて睡眠薬を処方してもらっていたという話を以前に聞いて、驚いたと同時に、きつかったのは自分だけではないのだと思ったことがあります)。
 
 
 その他、経過や感想など。
  • 2日目か3日目に、強い雨の中でも走れたのは自信になりました。
  • 以前に読んだ村上春樹の走ることについてのエッセイを、英訳で読み直しています(ちなみに村上春樹もケンブリッジに滞在中にチャールズ川沿いを走っていたのを知ってちょっと感動)。
  • 体重にはほとんど変化がないものの(-0.5kg~-1kgほど)、足の筋肉がつき、腹周りが少しすっきりしたように思います。
  • Youtubeなどでフォームの勉強をして少し走りやすくなりましたが、まだ固まっているとは言えません。
  • 5km以上走ると水分を補給したくなるので、水筒のホルダーが付いているランニング用のベルトを購入しました。

Crazy Rich Asians

 

 AMC Loews Boston Common 19にて。公式サイトはこちら

 ハリウッド映画にしては珍しく、主要キャストが軒並みアジア系俳優という作品です。ちなみに邦題は『クレイジー・リッチ!』となっているようで、邦題をつける時は意訳であったり副題であったりで原題よりも長くなる印象があるのですが、本作はむしろ逆ですね(でも、「!」を余計に入れるところは、いかにもという感じがします)。

 貧しいシングルマザー家庭で生まれた中国系アメリカ人で、ニューヨーク大学の教授として働く女性が主人公になっています。交際しているボーイフレンドが故郷のシンガポールで親友の結婚式に出席することになり、彼女にもぜひ一緒に来てほしいという誘いに応じ、生まれて初めてアジアを訪れることになるものの、実はそのボーイフレンドが「クレイジーな」レベルの富豪で…というようなプロットです。

 ボーイフレンドの家族に結婚を反対される描写があるのですが、その際に主人公の出自が洗練されていないという他に、(中国人の両親の元に生まれているにもかかわらず)「アメリカ人だから」という育った場所による境界がロジックとして使われていたのが面白かったです。

 全体として文化的、あるいはジェンダーによる葛藤の他にも、笑いあり、涙ありで、またハリウッド映画ならではのド派手な演出もあり、質の高いロマンティック・コメディでした。

 

[英訳]苅谷(1986)「閉ざされた将来像――教育選抜の可視性と中学生の『自己選抜』」 結論部

 

 苅谷剛彦,1986,「閉ざされた将来像―教育選抜の可視性と中学生の『自己選抜』」『教育社会学研究』41: 95-109.

 

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Max Weber (1917=2013) "Science as a Vocation"

 

 

The Vocation Lectures: “Science as a Vocation

The Vocation Lectures: “Science as a Vocation" & "Politics as a Vocation": 'Science as a Vocation' (Hackett Classics)

 

 

 日本語訳では何度か読んでいますが、英訳で読むのは初めてでした。やはり古典と呼ばれる作品は、その時々の自分の年齢や関心などに応じて新たな発見が往々にしてあるものです。以前に読んだ際は、近代社会における科学や学問の意味、大学における研究者を目指す若者が持つべき心構えなどについてがより響いたと記憶していますが、今回は教師の資質や役割についての部分を興味深く読みました。

 教壇における教師が語る内容について事実と価値の峻別をWeberは説いており、彼の「価値自由」の概念を理解する上でも重要になる主張ですが、当時のドイツ社会における事実よりも経験、教師よりも指導者を求める若者の風潮という文脈を押さえて捉えられるべきだということを、今回読んで確認しました。

 

To make an initial point: the first task of a competent teacher is to teach his students to acknowledge inconvenient facts. By these I mean facts that are inconvenient for their own personal political views. Such extremely inconvenient facts exist for every political position, including my own. I believe that when the university teacher makes his listeners accustom themselves to such facts, his achievement is more than merely intellectual.

Bear in mind that the value of a human being does not depend on whether he has leadership qualities. And in any case, the qualities that make someone an outstanding scholar and academic teacher are not those that create leaders in practical life or, more specifically, in politics. 

 

スティーブン・R・コヴィー(1989=2013)『完訳 7つの習慣――人格主義の回復』

 

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

  • 作者: スティーブン・R・コヴィー,フランクリン・コヴィー・ジャパン
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 2013/08/30
  • メディア: ハードカバー
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 すごく有名な本だということだけは知っていましたが、初版は1989年なのですね。もっと前に出版された本かと思っていました。当時の(おそらく現在も)自己啓発本によく見られる、小手先のテクニックで人生をよくしようとする「個性主義」(the personality ethic)に対して、普遍的な原則(principles)に基づいた「人格主義」(the character ethic)への転換が説かれています。

 個人的にもっとも印象に残った言葉があったのが、「第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される」の章でした(ちなみに偶然にも、第5の習慣こそもっとも実践が難しいと、著者があとがきにて述べていました)。

 

私たちはたいていまず自分を理解してもらおうとする。ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているかのどちらかなのである。

 

 自分の経験で言うとゼミで発表を聴いている時などに、ついつい次に何をコメントするかを考えていて、相手が何を伝えたいかに注意しておらず、内容が結局あまり頭に入っていないということがあるので、省みるところがありました。あとは、英語で会話をする時にも顕著ですね。会話が途切れるのが怖くて、次に何を話すかに意識が集中していることがよくあります。