中屋敷均(2019)『科学と非科学――その正体を探る』

 

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)

 

 

 「偶然」や「不確実性」と、それらが人間生活にもたらす影響に関して、14編の短いエッセイから構成されている著作でした。

 「単純な条件下における絶対的な真理を求める科学」と、「100%の確実性がないことを前提とした上で現実生活への適用を考える科学」という2つを区別し、原発や農薬のリスクなどを後者の観点から説明がされています。

 なぜ100%の確実性を持って言えないかというと、現実における様々な撹乱要因(たとえば、重力加速度の公式であれば空気抵抗)のためですが、これを野球盤における「消える魔球」でたとえたり、不確実な中でも何らかの保証を科学に求める姿勢を、「デルフォイの神託」になぞらえたり、科学的と思われているものが実は相当に非科学的なものとの境界に位置づいてるということが、本書を取り巻くテーマとして伝わってきます。

 現状では人間が根本的に理解し尽くすことのできない不確実性があるため、科学的合理性の行き過ぎに対しても警鐘が鳴らされています。その観点から、近年の大学改革における「選択と集中」の問題点が挙げられ、「無駄の必要性」につながってゆく流れが面白かったです。

 

Runtastic

 

 Runtastic(ランタスティック)公式サイト

 

 6年くらい前にちょっとだけ使っていたランニング用アプリをもう一度入れてみました。以前からあったのかもしれませんが、すごくいろいろな機能が充実していますね。

  • 1kmあたりのラップタイムを記録
  • 1km走るごとにペースを通知してくれる音声コーチ
  • 走行距離だけではなく、高度の上昇・下降も計測
  • 音楽プレイヤーアプリへの切り替え
  • ランニング中であることをSNSで通知(友達から励ましてもらえる機能らしい、自分には不要ですが)

 

 最近は荒川の河川敷を走るのがとても楽しいです。たまに自転車とすれ違う程度で、車や信号に邪魔をされることがありません。

 そして今日は16kmほど走りました。

 

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  これだけ長く走ったのはずいぶん久しぶりです。以前に購入したランニング用のベルトは捨ててしまったので、水分・エネルギー補給なしで走りましたが、さすがに後半はバテてきました。

 補給さえすれば、心肺機能的にはまだいけそうではあるのですが、下半身をもっと鍛えないと20km以上はキツそうな印象です。

 

Bol (2015) "Has Education Become More Positional? Educational Expansion and Labour Market Outcomes, 1985–2007."

 

Bol, Thijs. 2015. "Has Education Become More Positional? Educational Expansion and Labour Market Outcomes, 1985–2007." Acta Sociologica 58(2): 105-20.

  

人的資本と産業化のプロセス
  • 人的資本論は教育拡大によって学歴の効果がどのように変化するかに関して、強い予測を与えない;教育へのリターンは供給と需要の差に依存すると主張するためである
  • 社会学の近代化理論は教育の労働市場におけるリターンに関してより強い予測を行う;技術的に発展した産業における仕事ではより生産性の高い技能が必要されるので、社会的出自よりも学歴がより地位を規定するようになると想定される
 
ポスト産業社会における教育の位置モデル
  • Thurow(1975)によると、採用のプロセスは労働行列(labor queue)と仕事行列(job queue)の2つによって規定される
  • 労働行列とは雇用主がシグナル化された特徴(教育がもっとも重要)に基づいて求職者を選別するものであり、仕事行列は労働者が仕事を選別するという仮想的な列である
  • 雇用主は労働行列の先頭から求職者を採用しようとし、求職者は仕事行列の中でもっとも地位の高い仕事を得ようとする
  • このモデルでは教育に対するリターンは他の求職者の学歴構成に依存する
  • Thurowにとって、学歴は生産性を高める技能には無関係であった;一般的であれ特殊的であれ、仕事上のほとんどの認知的技能は採用後のOJTによって獲得されるものと主張されている
  • 教育の位置モデルは、人的資本よりも需要側をより重視している;というのも仕事の機会は特定のタイプの仕事に需要がある際に雇用主によってつくられるものだからである
  • 教育の位置モデルは人的資本論よりも、学歴と要求される技能レベルの「ミスマッチ」のトレンドをよりうまく説明することが可能である
  • 教育拡大によって、低技能の労働者は(学習能力などにおいて)同質化している傾向にあるため、雇用主はある仕事にそれほどの教育が必要なくとも高学歴の人々を求めるようになっている
 
データ
  • ISSPの1985~2007年データを使用
  • 28ヶ国における、被雇用の20~35歳の人々がサンプル(N=51,221)
  • すべてのモデルには調査年の固定効果、国の固定効果、国×学歴の交互作用を投入
 
絶対的・相対的学歴の指標
  • 絶対的な学歴は教育年数を使用する;カテゴリカルな学歴レベルよりも、時代を通じた比較可能性が高いため
  • 相対的な学歴は、それぞれの国-コーホート(同一の卒業年)の組み合わせにおいて、教育年数を0から100のパーセンタイル値に変換することで得る
 
方法
  • 2レベルのランダム効果モデルを使用
  • 絶対的学歴と相対的学歴は強く相関している(R=0.84)ので、別々に投入したモデルの後に、同時に投入したモデルを推定
  • 国家間よりも時点間の変動に関心があるため、国家間の異質性は国レベルの固定効果によって統制し、国×学歴の交互作用を投入する
 
変数
  • 従属変数には所得を使用するものの、国によって間隔尺度で測定されていたり、カテゴリーでしか測定されていなかったりする
  • それぞれの国・調査年において、個人の所得を中央値で割った値を対数化する
  •  income_{ij}=ln(\frac{incomeISSP_{ij}}{median_{j}})
  • この値がゼロであれば、ある個人の所得が中央値に一致することを意味する
  • 個人レベルの統制変数として、ジェンダー、婚姻状態、従業上の地位(フルタイム・パートタイム)、経験年数(学校卒業後の経過年)、経験年数の2乗、学歴×教育年数
  • 教育拡大の指標として、国-コーホートレベルにおいて、学生数に占める高等教育在学者比率を用いる(Cross-National Time-series Data Archiveから得られた)
  • 交互作用に入れる変数はすべて全体平均に対して中心化
 
結果
  • クロスレベルの交互作用を入れないモデルにおいて、教育年数の1標準偏差の増加に対して収入は23%(exp[0.208])増加し、相対的学歴の1標準偏差の増加に対して収入は20%(exp[0.181])上昇する
  • 高等教育在学者比率×教育年数は有意でないのに対して、高等教育在学者比率×相対的学歴は正に有意;交互作用の係数は0.347であり、高等教育在学者比率がもっとも低いケース(6%)ともっとも高いケース(34%)を比較すると、相対的学歴の効果は0.11(0.28×0.347)となる
  • 教育拡大につれて、学歴の位置財としての価値が高まることを意味している
  • 絶対的学歴と相対的学歴を同時に投入したモデルでは、どちらの変数も正に有意であり、係数は絶対的学歴がわずかに大きい;教育は完全に位置財でも、絶対的な価値を持つわけでもない
  • 絶対的学歴と相対的学歴を同時に投入したモデルの交互作用では、高等教育在学者比率×相対的学歴が有意であり、高等教育在学者比率×教育年数は有意ではない
 
考察
  • なぜ相対的学歴が雇用主から見てより重要になるのか
  • 高学歴者の過剰供給によってミスマッチが起きると、教育と仕事の連関が弱まる
  • 雇用主はこれに伴って相対的な学歴に基づいて採用を行うようになる
  • 分析は国家間の異質性を無視してトレンドに注目したものであり、今後の研究によって構造-制度的な要因による国家間の差異の検証が必要である

渡辺靖(2019)『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』

 

 

 リバタリアニズム系の団体やシンクタンクの現地調査などに基づいており、著者の足跡を辿るような構成になっているのが読み応えがありました。

 CNNなどを観ていると、トランプ大統領のニュースばかり流れているので、「トランプかそうでないか」という分断にばかり注目してしまいがちなのですが、本書を通じて単純な二項図式では捉えられない現代アメリカの複雑さを知ることができました。

 

  • アメリカではミレニアル世代(1981~1996年生まれ)を中心に、共和党民主党双方への失望から、リバタリアニズムへの支持が増えている。
  • 「弱者切り捨て」、「裕福な白人男性によるイデオロギー」というイメージを持たれることもあるものの、そういった理解はリバタリアニズムの本質を捉え間違えかねない。
  • アメリカにおけるリバタリアン党を創設したデヴィッド・ノーランが作成した分類によると、「個人の自由」と「経済的自由」の重視度合いによってリバタリアニズムを位置づけることができる。すなわち、(1)リバタリアニズム(個人の自由:重視、経済的自由:重視)、(2)保守(個人の自由:軽視、経済的自由:重視)、(3)リベラル(個人の自由:重視、経済的自由:軽視)、(4)権威主義(個人の自由:軽視、経済的自由:軽視)と分けられる。
  • リバタリアニズムは、自由市場・最小国家・社会的寛容という価値観を共通に持っているものの、再分配・外交・差別是正・移民受け入れなどの個別イシューにおける政府の役割に関しては内部で多くの意見の違いが見られる。たとえば、ミルトン・フリードマンは「負の所得税」という政府からの給付金を主張したし、フリードリヒ・ハイエクも限定的な社会保障機能を容認した。
  • 集合的なアイデンティティイデオロギー自体を批判の対象にする側面があり、そのため「リバタリアニズム」という名称で括られることを嫌がる人々もいる。
  • ヨーロッパ流の「保守主義」は歴史的に貴族や大地主などのエリートを中心とする身分制度に基づいており、それに対して占領政策を経た戦後の日本ではそうした厳然たるエリートの影響力は稀薄である。そのため、「保守」といっても愛国心に訴える以外の説得力が乏しく、「リベラル」も「反・保守」である以上の訴求力に欠いている。

 

井手英策(2018)『幸福の増税論――財政はだれのために』

 

幸福の増税論――財政はだれのために (岩波新書)

幸福の増税論――財政はだれのために (岩波新書)

 

 

 「弱者を助ける」という伝統的なリベラル政策がなぜ日本社会で支持されないのか、著者自身が政治に関わってきた経験も踏まえて見事に描き出されていると思います。

 しかし、消費税を20%近くまで上げるということに関しては、どれだけ増税の必要性を説得的に議論しても難しさを感じてしまいます。加藤淳子先生のご研究にもあるように、先進産業国におけるVATの導入と増税には経路依存性と重大局面(critical juncture)があるので、過去のスウェーデンアメリカを比較の対象にするのは、政治的コストが違うようにも思います。実現可能な落としどころは、別の著作で論じられているような社会なのでしょうか(まだちゃんと読んでいない)。

 

 以下、勉強になった箇所をいくつか書き出してみました。やはり財政・租税論に関する知識は知らないことばかりですね。

  • 現金とは異なりサービス給付の場合には、自分が受けたサービスの金額を正確に測ることはできないから、税負担と受益の差が大きいからといって高所得層が反対するとは限らない。むしろ将来不安を軽減するために就労と貯蓄に駆り立てられる必要がなくなれば、高所得層にもメリットがある。
  • 大企業の内部留保が批判の的になることがあるものの、毎年発生するフローの内部留保は資金調達の一形態に過ぎず、企業が銀行から借り入れをして設備投資にまわすのか、内部留保をもとに設備投資を行うのかの違いである。内部留保を減らせというのは、借り入れの難しい中小企業に設備投資を減らすように求めることに等しい。内部留保に課税を求める議論もあるものの、租税論的に言えば明らかに二重課税になる。
  • 第二次安倍政権の下で防衛関係費は4.8兆円から5.1兆円に約6%増大している(2013→2018年度)。しかし、一般会計当初予算の伸びが5.2%であるから、防衛費だけが極端に伸びたわけではなく、また現在の防衛予算は過去のピークである1997年度予算の4.9兆円とほとんど変わらない。
  • 65歳以上人口に対する15~64歳人口の比率が低下するという「肩車問題」によって将来世代が背負う借金が重くなるため、増税よりも財政再建を優先すべきだという議論がある。しかし、「就業者一人あたりが何人の非就業者を支えるか」という指標でみると、過去・現在・2050年の予測のどれも大きく変化しない。

 

Wasserstein and Lazar (2016) "The ASA's Statement on p-Values: Context, Process, and Purpose"

 

Wasserstein, Ronald L. and Nicole A. Lazar. 2016. "The ASA's Statement on p-Values: Context, Process, and Purpose." American Statistician 79(2): 129-33.

 

p値とは何か
  • くだけた言い方をすれば、p値とはある特定化された統計モデルの下において、何らかのデータの要約(例:2つのグループにおける平均値の差)が観察値に一致するか、より極端な値をとる確率である
 
原則
  1. p値は、データがある特定化されたモデルとどれだけ齟齬がある(incompatible)かを示しうる
    • p値はあるデータセットと、それに対して提示されたモデルがどれだけ齟齬があるかを要約する上での一つのアプローチをもたらす
    • もっともよくある文脈は、いわゆる「帰無仮説」とともに一連の仮説の下で構成されたモデルである
    • 帰無仮説は、2つのグループ間で差異がないとか、ある要因とアウトカムの間に関係がないなど、効果が存在しないことをしばしば仮定する
    • もしp値が計算された際に置かれている仮定が成り立つならば、p値が小さいほどデータと帰無仮説の齟齬は大きくなる
    • この齟齬は、帰無仮説あるいは置かれている仮定に対する疑義・反証をもたらすものとして解釈できる
  2. p値は研究仮説が真である確率、あるいはデータが偶然のみによって生成されている確率を測っているわけではない
    • 研究者はしばしば、p値を帰無仮説が真であること、あるいは偶然の可能性が観察データを生み出した確率の言明へと変えたがる
    • p値はそれらのどちらでもない
    • p値は特定された仮説による説明に対するデータについての言明なのであり、説明それ自体についての言明なのではない
  3. 科学的な結論やビジネス・政策上の意思決定は、p値が特定の閾値を超えたかどうかのみに基づくべきではない
    • 科学的な主張・結論において、データ分析や科学的推論を機械的な「歯切れのよい」(bright-line)ルール(たとえば、p<0.05)に単純化するような実践は、誤った信念や粗末な意思決定に至らせる可能性がある
    • ある結論はただちに、2つに分けられたうちの「真」または「偽」となるわけではない
    • 研究者は科学的推論を導出する上で多くの文脈的要因を取り入れるべきであり、これには研究のデザイン、測定の質、対象となっている現象に関する外的な証拠、データ分析が置いている仮定の妥当性などが含まれる
    • 実用的な関心からは、しばしば「yes/no」という2値の意思決定が求められるものの、このことはp値が単独でその決定が正しいかどうかを保証できるということを意味しない
    • 科学的知見(あるいは示唆された真実)を正当化するものとして広く用いられている「統計的有意性」(一般的に「p≦0.05」として解釈されている)は、科学的プロセスを大きく歪んだものにしている
  4. 適切な推論には、結果の十分な報告と透明性が求められる
    • p値とそれに関連した分析は選択的に報告されるべきではない
    • 複数のデータ分析を行ったにもかかわらず、特定のp値(概して有意な閾値を超えたもの)のみを報告することは、報告されたp値を本質的に解釈不能なものにする
    • 有望な知見のいいとこ取り(cherry-picking)、あるいはデータの浚渫(data dredging)、有意性の追跡(significance chasing)、有意性の尋問(significance questioning)、選択的推論(selective inference)、「p値のハッキング」(p-hacking)としても知られる実践は、公表された論文において統計的に有意な結果が擬似的に過剰になることにいたり、きっぱりと避けるべきである
    • この問題が生じるためには、複数の統計的検定を行う必要もない
    • 統計分析を行った結果に基づいて研究者が何を提示するかを選択する際に、もし読者がその選択とその基準を知らされなければ、結果の妥当な解釈はいつでも非常に危ういものとなる
    • 研究者は検討される仮説の数、データ収集の意思決定、実施されたすべての統計分析、計算されたすべてのp値を公開すべきである
    • p値とそれに関連した統計に基づく妥当な科学的結論は、少なくともどういった分析がいくつ行われたか、またどのように分析(p値を含む)が選ばれたかを知ることなしには、導出することはできないのである
  5. p値あるいは統計的有意性は、効果の大きさや結果の重要性を測っているわけではない
    • 統計的有意性は、科学的・人道的・経済的な有意性と同じではない
    • p値が小さいからといってより大きなあるいはより重要な効果が存在することを意味するわけではなく、p値が大きいからといって重要性がないことや効果がないことを意味するわけではない
    • もしサンプルサイズが大きく測定が正確であれば、どれだけ効果が小さくともp値は小さくなるし、サンプルサイズが小さく測定が不正確であれば大きな効果であって大きなp値になりうる
    • 同様にして、まったく同一の効果を推定していても、推定の正確性が異なればp値も異なりうる
  6. p値それ自体は、モデルや仮説に関する証拠の適切な尺度とはならない
    • 研究者は、文脈や他の証拠を欠いたp値が限定的な情報しかもたらさないことを認識すべきである
    • たとえば、0.05に近いp値はそれ自体では帰無仮説に対して弱い証拠にしかならない
    • 同様にして、比較的大きいp値が帰無仮説を支持するわけでもない
    • 他の多くの仮説も観察されたデータに対して同じくらいかそれ以上に一致するかもしれないのである
    • こうした理由から、他のアプローチが適切かつ可能な場合に、データ分析はp値の計算で終わるべきではない
 
他のアプローチ
  • p値に広く見られる誤用と誤解を踏まえて、p値を他のアプローチと補完、さらには置き換えることを選ぶ統計学者もいる
  • こうしたアプローチには、次のようなものが含まれる
    • 検定にとどまらない推定、たとえば信頼区間、信用区間、予測区間の計算
    • 尤度比やベイズ因子などの別の証拠を持ちるベイズ的方法
    • 意思決定理論のモデリング偽陽性率(false discovery rate)などの他のアプローチ
    • これらすべての方法・アプローチはさらなる仮定を必要とするものの、効果の大きさ(とそれに付随した不確実性)や、仮説の正しさをより直接的に扱うものである